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Be praying. Be praying. Be praying.
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から、またつらつらと。





「名前は一番短い呪」がつまり完璧に唯名論であることに今気付いた
「名前」という「呪」をかけることにより相手の心、事物の在り様を縛り(=定義し)認識する
意味を意識してあつかわなけりゃ言葉は言魂ったって単なる音で終わるだろうけど

だからたとえば真紅~の時点の紅蓮は、あのままだったらいつかどころか永遠に昌浩を「昌浩」として定義・認識・分類できなかったと思う
あくまであの時の昌浩は「晴明の孫(らしき子供)」であって紅蓮は昌浩を「昌浩」という「個」として定義しなかった(できなかった)から
逆に考えれば、昌浩を「昌浩」として認識しない=「昌浩」を思い出すこともない、が取り敢えず成り立つわけで、そう考えたら紅蓮の記憶に「個」としての「昌浩」が残らなかったのは当然の成り行き、昌浩の願い(「昌浩」を思い出して傷つくことのないように)が叶えられるための必要十分条件だったと



ついでに「恋」という名を付けた(=呪をかけた)感情で相手を縛る(=「好きな人」として定義づける)場合、片想いならまだしも両想いになったらその瞬間自分もまた(相手の)恋という感情に縛られる
つまり縛り合いっつーか
でもなんかこの考えでもさして間違った定義付けじゃない気がする
心理学的に恋=恋愛感情の定義づけは「親和・依存欲求」「排他的感情」「援助傾向」だったはず
情動クラスターに偏ってるけどやっぱ間違ってない







勾陣は紅蓮がはじめて救った他人であったことに気が付いた
常に彼は加害者であり被害者でありつづけて、救われる側の立場からでてくることはなかった
でも儚き~の一件では、一応被害者側(少なくとも加害者ではない)であり、また完全に救う側だった
考えたら空前絶後の出来事
このことで紅蓮に何かしらの意識の転換あったかな、あったはずと思うんだけど

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碧波 琉(あおば りゅう)
少年陰陽師・紅勾を中心に絶えず何かしら萌えor燃えている学生。
楽観主義者。突っ込み役。言葉選ばなさに定評がある。
ひとつに熱中すると他の事が目に入らない手につかない。

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