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Be praying. Be praying. Be praying.
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下の話の後日談。

特別と大切はニアリーイコール。だから違う言葉が当てられているのです。決してイコールではないのです。

 煌々と月が輝いている。押されるように星々の光は控えめだ。ほの甘くしっとりした夜風と柔らかな静寂。いつものように、屋根の上、いつものふたり。屋敷の住人は皆就寝していて話し声と言えば自分たちのものばかりで、その内容たるやすぐさま忘れてしまうほどどうでもいいことばかりだ。
 呆れるほどにいつもの日常。
「平和だな」
 勾陣が言った。
 まったくその通りである。

 晴明と彰子がいないだけで安倍家はここまで平和なものなのだろうかと思わず感嘆するほど、伊勢より帰ってきてからの日々は穏やかだった。十二神将が皆恐れ慄いた勾陣の荒れ具合もすっかり静まり、昌浩は何事もなく出仕して雑用をこなし、そう言えば雑鬼たち最近降って来ないなーなどと呟きながら夜警をしているが特に大きい事件はなく、晴明がいないので貴族たちが面倒な事件を持ってくることもない。十二神将も殆どが異界あるいは伊勢にいて安倍邸の人口密度は普段から考えれば信じられないほど低かった。神将内随一のじゃじゃ馬が伊勢にいることも、もしかしたら現在の平和の一因ではあるかもしれない。本人が聞いたらぷんすか怒りそうである。
 とても平和だ。とても。
 思えば窮奇の一件以来このような平和は滅多になかった。大きな事件が恐ろしいほど立て続けに起こっていた。天狐の一件から出雲に赴くまでは平和と言えば平和だったのだが、そのときは勾陣が全快していないくせに好き勝手動いてくれたので紅蓮の心境的には平和ではなかった。
 物の怪はそのときのことを思い出して花に似た額の模様を歪める。訳の分からない屁理屈に何故勝てなかったのだろうと今更ながら自分が情けなくなった。勾陣がまだ起き上がれなかったときから、なんとなく見えていた事態ではあったといえばあったのだが。見舞いに行けば何気にひどいことを言われ心配しての言葉は受け流され、あのとき一番可哀想だったのは彼の心配だっただろう。間違いなく。
 ――そう言えば。
 ふと、もうひとつ思い出す。忘れてはいなかったものだったけれど。
 ――あの言葉、聞こえていたのかどうかわからないあの言葉は有効か?
 物の怪は唐突に変化を解いた。

「騰蛇?」
 いくら彰子がいないとはいえ、平時は基本的に異形に変している紅蓮である。特別な用事がなければ人界で本性に戻ることはほぼ皆無だ。
 驚いている様子で勾陣は紅蓮を見上げ首を傾げる。
「なあ」
 思いのほか堅く真剣な声が出た。勾陣の表情が引き締まる。
「何かあったか」
「いや、そうじゃない」
 ただ、少し頼みがあるだけだ。
 頼み? 勾陣は不思議そうにまた首を傾げた。たまにこういう動作が子どものようだと彼は思う。
 変に緊張している己を自覚して、ほぐすようにゆっくりと息を吐きだし、紅蓮は微笑む。
「お前が完治したらやりたいことがあったんだ」
 勾陣は得心がいったような顔をした。
「ああ、そう言えばそんなことを言っていたな」
「聞いていたのか?」
 だったら反応してくれればよかったのに。彼の内心が聞こえたように勾陣はくすりと笑った。紅蓮の不満を適当に受け流すときの笑い方だと分かる程度には付き合いが長かった。と言うよりは出雲出立前に嫌と言うほど思い知らされていたことだった。
「反応するのが面倒なくらい眠りかけだったんだ」
 そしてこうやって笑われたときは紅蓮の意見がまともに取り上げられることがないことも分かっていたので紅蓮は勾陣の言い分をそのままのみ込んだ。嘘ではないことは分かっている。やはり少し無理をさせていたのだろうか。遅すぎるかもしれないが反省した。
「それで?」
 窺うように彼女は紅蓮を促した。
「私は何をすればいい?」
 受け入れてくれるつもりがあるらしい。
 紅蓮は努めて軽く言った。本当はその声も掻き消されそうなほど心臓がうるさかった。
「殴らないでくれれば、それで」
 どういう意味だ。
 勾陣が尋ね返してくるより前に、両手を伸ばし、細い身体を力いっぱい引きよせていた。
 その背に左腕を回し、右手で頭を抱え込み。彼女の身体が不自然に強張ったことも彼女が何か、おそらく抗議を言ってきたことも、紅蓮はすべて敢えて無視して腕の力をさらに込め瞼を閉じた。

 いい香りがする。
 最初にそんなことを思った。
 温かいと思った。細いと思った。髪の手触りがいいなと思った。柔らかいと思った。
 ――生きている。
 そう思った。

「騰、蛇? おい、騰蛇、何を……」
 怒りより戸惑いに満ちた声が腕の中から聞こえてくる。窮屈そうに身じろぎするので少し力を緩めてやろうと思ったのに、まるで逃げたがっているような動作に腕の力は籠るばかりだ。思い通りにならない身体を不思議に思いながら、しかし紅蓮は己の無意識を当然のものだと感じていた。
 痛かったのだろう、小さく苦痛の声がした。
「騰蛇。騰蛇。……逃げないから。逃げないから、殴らないから。少し、緩めてくれ」
 自分の発言を裏付けるように勾陣は身じろぎを止めた。かろうじて自由になる肘から下を動かして紅蓮の腕を軽く数度叩いて来たのを合図に、無駄なほど籠っていた力がようやっと緩んだ。しかし腕を解いてやることはどうしてもできなかった。自分のものでないのはいっそ「放してやらなければ」と考えている思考の方ではないのだろうかとさえ考えてしまう。
 紅蓮は何も言わない。
 何も言えなかった。
 驚くほど胸のなかが詰まっていて言葉の入り込む隙間がない。どうして今更こんなに。髪の先あたりくらいから疑問の声が聞こえてきたが、やっとひとつの願望が叶った歓喜に暴れる感情の前では瑣末に過ぎる声だった。
 何を言っても無駄だと悟ったのか、勾陣は声を上げない。

 しばらくそうしていた。同じ体勢を強いられた身体が軋み始めるほど長い間。紅蓮がそうなのだから勾陣の方が辛いだろう。けれど彼女は何も言わない。勾陣は紅蓮にまったく容赦がないが、すがりついてくる彼を撥ね退けたことだけはただの一度もなかった。
「ずっと」
 乾いた喉からかすれた声が出た。
「ずっとこうしたかったんだ。あのときからずっと」
 暴走したお前を止めたときから、ずっと。
 勾陣は返答に迷っているようだった。困らせるだろうなと分かっての言葉、ひいては行動だったので、紅蓮はただ申し訳ないとだけ思った。困らせた分だけ教えようと思った。
 分かってもらおうと。
「あのとき、な」
 閉じた瞼の裏に蘇る。幻影だ。過去のものだ。分かっていてなお胸が痛い。あのとき衝撃が訪れた部分がきりきりと音を立てて軋んでいる。けれど彼女が触れている部分から、ゆっくりと、軋みは溶けていく。
「お前が、ひどく、冷たくて。俺だけが熱くて。俺がお前の体温を奪っているんじゃないかと思った。暴走は止めたけれど間に合わなかったんじゃないかと思った。俺の腕の中でお前が本当に死ぬんじゃないかと思って、どうしようもなく、怖かった」
 紅蓮を汚していく赤いもの。熱いもの。流れ出る勾陣の命。
 意識を手放してしまった彼女はぴくりともせず。浅く早い呼吸だけがかろうじてその生を示していた。しかしそれとてひどく不確かで、いつ止まってしまっもおかしくなかった。
 声は届いた。だが手は届いた?
 呼吸よ止まるな鼓動よ止まるな。
 行くな。
 頼むから。
 逝くな。
 頼むから!!
「天狐のときだけじゃない。真鉄のときも。冥官のときも。お前はいつも、俺の腕の中で、つめたくなる」
 温かな肌を、彼は本当に僅かしか知らない。それだって異形に変化しているときに勾陣が撫でてきたり抱き上げてきたり、また自分からその肩に乗ったりするだけで、本性のときに、この腕で、彼女の体温を感じたことなどなかった。この腕が知っているのは冷たくなっていく温度だけ。
 だから。
「だから、こうやって。万全のときの、お前を、こうやって、抱き締めたかったんだ」

 確かめたかった。そうしなければ恐怖に叫んだ彼の心は決して救われなかっただろう。
 温かな肌を。
 ここに灯る命を。

 生きているのだと。

 自分の言葉がさらに胸を詰まらせる。ああもう、もう過去になった出来事なのに、それなのに泣きそうで、変だ。全身に焦燥のような疼きが走り、せっかく緩めたにもかかわらず先程より強く力を込めた。今や絞め殺さんばかりの強さである。けれど彼女はもう、何も言ってはこなかった。何も言わなくなることは分かっていて告げた。言ってしまえば彼女が抗議できなくなることも逃げ出せなくなることも、紅蓮は最初からすべて分かっていた。
 ずるい男だ。それさえ分かっている。
 けれどせずにはいられなかったのだ。

「お前は、重たかった」
 ぽつり。呟く。他意はなかった。ふと思い出したことが口をついて出ていた。
 流石に気分を害した様子の勾陣が身じろいだ。けれど紅蓮はそれ以上を許さない。腕の力の抜き方はまだ分からないままだった。ただ、分かっていたとしても放さなかっただろう。彼女をまだ手放したくなかった。
「女に向かって重いとはどういう量見だ騰蛇」
 半分棒読みなところが怒りを示している。が、彼女はまったく分かっていない。
 小さく笑う。
「そのままの意味だ」
 更なる抗議を遮るように続けた。
「……お前の命だ。軽いわけがない」
 勾陣がぴたりと止まる。声を上げる様子もないから、紅蓮はもう一度繰り返した。
「……重たかったんだ、とても」
 驚くほど軽い身体の信じられない重みだけが、あのとき紅蓮のすがれる唯一のものだった。

 上手く動かないだろう腕を持ち上げ、勾陣は紅蓮の抱擁に応える。抱きしめ返すにしては中途半端な格好になったが、紅蓮はそれしか許さなかった。彼はもとより応答を求めたわけではなかった。華奢な身体を、決して小さいわけではないけれどすっぽりと紅蓮に収まってしまう身体を二本の腕に閉じ込めた時点で、彼の願望は満たされていた。
 ため息のように勾陣が言う。
「分かるだろう?」
「ん」
「生きている」
「ん」
「ここにいる」
「ん」
「どこにも、行かないから。お前の追いかけてこれないところには、行かないから」
「…………ん」
「だから、……な? ほら、泣くな……」
 泣いてなどいない。確かに目頭は熱かったが、零れ出るものなどなかった。そもそも本当に紅蓮が泣いていたとしても、額を紅蓮の胸板に押し付けられている体勢の勾陣にそれが分かるはずがない。けれど彼女は断言した。泣くな。人を殺せそうな優しさに満ちた声だった。一瞬だけ、この声に殺されるなら本望だと思ってしまった。口にしたら間違いなく叱られるので思うだけにとどめる。
 それきり勾陣は何も言わなかった。
 紅蓮も何も言わなかった。
 時間が壊れてしまっていた。

 本当に失ってしまうと思ったのだ。
 それは紅蓮の一部が壊死してしまうことと等しかった。

 勾陣は紅蓮にとって大切なものだ。
 特別なのは晴明と昌浩で、だから特別にはしてやれないけれど、それを何よりもの罪に思ってしまうほど大事なものだ。
 大切すぎて、どうしたいとも思わないほど。存在しているだけでいいのだと満足してしまうほど。
 とても、大切な、ものなのだ。

 どれほどそうしていただろう。
 あれほど強情だった腕からゆるやかに力が抜けていく。それに気付いた勾陣は、紅蓮の様子を窺いながら少しずつ彼から放れる。肩や首を回して体をほぐしている彼女を見て、やはり悪いことをしたかなとほの苦い味が舌の上に広がった。
 目が合う。
 勾陣は優しく微笑んだ。先程の声のように人を殺せそうな優しさと柔らかさが、ただ紅蓮にのみ注がれていた。
 本当に殺されてしまう気がして、気恥ずかしさに逸らしたのは紅蓮だった。何か言おうとするのだが、紅蓮の言葉の貯蔵庫は空っぽだった。声は吐息にすらならない。
「満足したか?」
 答えを知っている体の質問にただ頷いた。
 勾陣は穏やかに微笑んでいる。
 ああ本当に俺は泣いたのかもしれない。勾が生きている。その安堵のあまりに。溶けた恐怖が流れたのかもしれない。

 そうして一粒の涙が頬を伝った。

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碧波 琉(あおば りゅう)
少年陰陽師・紅勾を中心に絶えず何かしら萌えor燃えている学生。
楽観主義者。突っ込み役。言葉選ばなさに定評がある。
ひとつに熱中すると他の事が目に入らない手につかない。

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・紅勾、青后、勾+后(@少年陰陽師)

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