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なぜなら物事を理路整然と並べたてて伝えるのが苦手だから。
他人の意見を聞いてまとめる、という作業なら大得意なんですがねぇ。




ちょっと物理と古文の時間に気になったんですが(授業聞けコラ

神将が死んだとき、「死の衝撃が訪れるタイミング」と「消えるタイミング」はどんなんだろうか、と思いました。
いや、勝手に『生命活動が停止した瞬間から消えていく』と思ってたんですけど、でも、組み合わせ…じゃないかもだけど、別パターンもあるんじゃないか? って。



取り敢えず、衝撃の方から。
羅刹~のあのシーンは結構視点+時系列が飛び飛びになってるからよく分かんないんですけど、

(Ⅰ)落命確実な怪我を負った瞬間
(Ⅱ)生命活動が停止した瞬間
(Ⅲ)消えた瞬間

くらいはまぁ、上げれるんじゃないかなぁと。でも勾陣の例があるからⅢはあり得ないとして。

Ⅱがよくわかりません。
いや、勾陣はあの時一回心肺停止状態になったし、肉体的な死は訪れてたわけで、そこだけピックアップしたらこれも十分あり得るんですけど。
問題は紅蓮が訪れるまでにかかった時間。
衝撃を感じる→白虎来る→安倍邸まで物の怪姿で戻る→天空たちと少し会話→異界。それも白虎が来るまでの間に、他の神将たちの間で、衝撃を感じる→一か所に集まる→天空が騰蛇を呼ぶ、の流れがあるわけで、これだけ考えると時間はそれなりにかかってるはず。
物の怪の時速と安倍邸までの距離も気になるとこですが。
まぁそれなりっても、十分~二十分、くらいでしょうけどね。ただそれだけの間ずっと、瀕死の状態で抑制なしの神気を放出し続けた勾陣の負担がかなり大きいことになると思うんです。プラス、紅蓮と闘った時間。十分前後かなぁとは思ってるのですが、それ全部合わせた時間、果たして勾陣の神気及び風前の灯の生命力が耐えきれるのか謎。
それ以前に、勾陣の暴走と紅蓮が異界に行ったのがほとんど同じタイミング…だと思ってるので、ここでも無理が出てくる。これは仮定が悪いのかもしれませんが。……砂にしみ込まれた血が渇くのって、どんだけ時間要るんでしょうか。

Ⅰ…があり得るかなぁとも思うのですが、こっちもこっちで時間が合うのかな? という。
というか、刺される→凌壽が真実を教える→しばらく自我が残ってる、の流れにどれだけの時間がかかったのかなぁ、と。真ん中の時間にかなり影響受けると思うのですが、凌壽のことだからなぁ。事実だけを端的に述べたら一分いらないけど、彼が遊びがてらに教えたんなら(そしてその確率高そう)もう少し時間かかります。それでも、大した時間にはならない。凌壽が去った後、勾陣の意識が残ってた時間もわずかなもののはず。
そう考えると、上で考えた、人界の流れに合わなくなってくるように思うのです。勾陣が暴走するのが、紅蓮が来るよりかなり先になる。結果上と同じような結論になっちゃう。

あれ、仮定全部つぶれた!?(ぁ
…じゃあ、ⅠとⅡの間、でしょうか。「落命確実な怪我を負い、生命活動が停止するよりは前」
と考えるなら、「死の衝撃」は「同胞が死んだことを伝える衝撃」ではなくて「同胞がこれから死ぬことを伝える衝撃」になるんじゃ。






あともういっこ。「消えるタイミング」

(Ⅰ)生命活動が停止した瞬間
(Ⅱ)生命活動停止後、しばらく経ってから

これはこのふたつが挙げられますよね。

大抵の人はⅠのパターンを考えてると思うんです。というか今日まで私もそうでしたし。他のジャンルでも、「死後、空気に溶ける」設定があるとこは殆どⅠ。
でも、別にこう決まってるわけじゃないような。

たぶん、「先代天一が、朱雀の目の前で、彼が伸ばした手が届く前に、消えた」って設定がⅠのパターンを考えさせるんでしょうけど…でも、考えようによってはⅡだってあると思ってる。
すっごいひねくれた考え方になるけど、「手が届かなかった」のが、「天一に手が届かなかった」ではなくて、「彼女がまだ息をしていた時に手が届かずに、やっと届いた手は亡骸しか掴めなかった」っての。……ひねくれ解釈だなぁ、と自覚はありますよ。

それに、Ⅰなら、勾陣をどうやって説明しよう。
まあ、「闘将だから」「肉体的な死から暴走までの時間が僅かだったから」で説明がつくような気もするんですがね。

ⅠでもⅡでも、言い方は悪いけど「綺麗な死に方」だからいいとは思うんですが。
Ⅰの、「消える事によって同胞の死を認識する」も好きですけど、Ⅱも結構綺麗なシチュエーションになると思うんです。
「腕に抱いて抱きしめていた亡骸が、不意に光に溶けて消える」ってのも。というか、Ⅱの方が「死」を実感しやすい気もする。
いや、むしろⅡの方が優しい…かも。二回事実をつきつけるから。人間だって二回以上突きつけてやっと消化できてる(死の瞬間、もしくは知らせを受けた瞬間。それから通夜や葬式、あとはお骨入れるときとか。私は、ですけど)んだし。
Ⅰの場合、本当の意味で「死」を認識できるのは、次代とまみえた時。消えた同胞と、同じ名前、同じ性質、けれどまったく違う存在と嫌が応にも対面しなきゃいけない、その時に先代の死が間接的につきつけられる。きっと、凄く痛い、と思います。






ながなが語ってみた割に答えが出てなくてごめんなさい←
やっぱガラじゃないみたいだ、こういうの。

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碧波 琉(あおば りゅう)
少年陰陽師・紅勾を中心に絶えず何かしら萌えor燃えている学生。
楽観主義者。突っ込み役。言葉選ばなさに定評がある。
ひとつに熱中すると他の事が目に入らない手につかない。

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