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Be praying. Be praying. Be praying.
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何が嘘だったんだっけ。




昨日の話の続きと言うか対と言うか。
うそつきの日も終わって、ほんとうの話。

 こぽりと音を立てて水面に浮上した意識の泡沫が弾けたとき、まず彼女を支配したのはすでに塞がりかけた傷口に滲むうつろだった。醜く塗りつぶされた思考はまだ色を取り戻さず、何か言葉を描くこともできないまま、勾陣は数度瞬きを繰り返した。
 身を起こそうとして走る鈍痛に世界が開ける。網膜の裏を一瞬にして流れた記憶に息が詰まった。押さえつけられた腕、必死にもがいても押し返せない、底冷えする声と合わない瞳の酷薄な色、難度も嫌だと首を振った、届かない、いくら名を呼んでも伝わらない、不可避の恐怖に染まった肉体を貫いた破瓜の激痛、不快と嫌悪、限界を超えて麻痺した心がそのうち何も分からなくなった。見開いた目は焦点を失ってしばし彷徨い、弾けてしまったと錯覚するほど強く心の臓が跳ねた。ふらふらと半身を起こして何度も咳いた。息の吸い方が分からなくなってひどく苦しかった。
 努めて静めようとすればするほど余計に塞がれていく呼吸にもがきながら、勾陣は緩慢に周囲を見回した。どこまでも続く無彩色の異界は、地平の彼方で空と地がぼやけて同じ色に混ざっている。距離感覚の分からなくなる何もない視界の中で勾陣はひたすら辺りを探す。何もない。誰もいない。
 ――どうして、いない?
 いるはずなのだ、あの男があんな凶行に及ぶなんて、何かのきっかけで心の掛け金を間違ってしまったゆえに違いなくて、だからいないとおかしいのに、冷静になったあいつはきっと、絶対、傍にいて、どちらが被害者か分からなくなるような顔をして、泣きそうになりながら、指先を震わせて、声をかすれさせて、すまないと、そんな言葉を絞らせて、そして私は冷めやらぬ怒りと溶けない悲しみを躊躇わずぶつけて、平手や拳の一つや二つやそれ以上をかまして、思いつく限りの罵倒を並べて、それでも最後には、最後には――
 落とした視線の先で両の手がかたかたと震えていた。体は綺麗に後始末されていて衣服も着せられていたが、手首で緩やかに脈打つ痣が網膜にこびりついた記憶を裏付けていた。不思議なことに何の感情も湧いてこない。怒ることも悲しむことも億劫だった。ただ、誰か教えてほしかった。どうして。どうしてあいつはあんなことをした。どうして止めてくれなかった。どうしてたったひとつの言葉すらくれなかった。どうしてここにいない。どうして。

 勾陣の心は、確かに紅蓮に向いていた。それは友情であり愛情であり恋情でありそして至極の信頼だった。同じように紅蓮もまた勾陣を想っていた。しかし彼は勾陣を大切なものとして選ぼうとはしなかったし、同時に勾陣もまた彼を選ぼうとしなかった。存在しているというだけで互いは互いを弱くした、失うことが怖かった、傷ついていることが嫌だった、そしてどうしようもなく捕らわれて自縄自縛に陥った。恋情は確かに微笑ましい幸福をもたらしたがそれ以上に互いのことを駄目にした。そのくせ友情や信頼と密に結びついたそれのみを切除して壊すことはできなかった。まるで悪性の腫瘍のように膨らみ続けては友情を愛情を信頼を蝕んで自らのみが死ぬことを拒んでいた。
 苦しかった。実を結ばない感情が疎ましかった。なくしてしまいたかった。やがて愛情も猛毒になった。ついに優しさも刃となった。叶うことのないまま持て余した心が自らを苛んでいた。嫌ってしまいたかった。いっそ憎んでしまいたかった。そうすれば楽になれると、彼を愛しながらそれ以上に強く望んでいた。
 嫌いたかった。この心の、彼の色に染まった部分をすべて、殺したかった。間違えようのない、まがいのない、本心だった。

 彼女はいびつに口の端を吊り上げた。渡りに船ではないか。図らずも、最悪のかたちで、願いは叶った。紅蓮への感情は彼自身の手によってすべて殺された。乱暴に犯されたというのに怒りすら湧いてこない。振り返れば感情のかけらたちの屍が累々と斃れて腐っている。からっぽだ。何も、何も、何も、何もかも、もう、ない。いつか夢見ていたように、報われぬ想いが茨となって心臓に巻き付いているかのような、彼女を煩わせ続けた痛みも、ない。
 なのに、なぜ、痛いのだろう。心がきりきりと軋んでいる。煩わしく思う余裕もない、きりきりと、音を立てて、発狂して叫びたいほどの苦痛。それは肉体に残るものではなくて。紅蓮が勾陣を無理矢理に犯したという事実そのものとも違っていて。
 紅蓮が、勾陣が向ける無償の友情を、恋情を、愛情を、そして至上の信頼を、復元不可能なまでに壊して崩して枯らせて踏みにじっては腐らせて裂いて潰して損ねて駄目にした、そのことが、そのことだけが、考えうる限り最大に醜く酷い裏切りが、彼女の知る何よりも、――ただ、痛かった。

「――…………と、」
 口にしようとした三文字の言葉が引っかかって出てこない。一瞬でのどの奥が渇き、涙がにじむほど何度も咳いた。幾度試しても音は出ず、咳きこむことばかりを繰り返した。無意識が男の名を拒んでいた。
 狂ったように彼の名を繰り返した勾陣に、彼はついぞ応えなかった。勾陣が欲しかったたった一つの言葉を気まぐれにでも投げかけることはなかった。勾、と、いつものように、きっと呆然とした声で、呼んで、そうしてすまないと、一言。あの場で求めていたのはそれだけのことだった。その一言を紅蓮が口にしたのなら、きっと勾陣は、複雑にとぐろを巻く胸中を即座に零に戻して、自ら男を受け入れただろう。
 いまとなっては僥倖と言えるのかもしれない。そんなことをされてみろ、中途半端に情が残り、また中途半端に壊されて、きっと狭間で苦しくなるばかりだったに違いない。だからこれでよかったのだ。こんな痛みは一過性のはずだ。半永久に続く疼きに比べたら、きっとそのうち忘れられる。あんな男はもうどうでもいいのだから。彼との間に会ったすべてはもうないのだから。
 ……なら、それなら、どうして、こんなに痛い?
 教えてくれ。誰か。誰でもいいから教えてくれ。どうして、どうしてこんなに、どうして彼は、どうして、なんで、なんで私は、なぜ。
 心の奥底、嫌いたいと思っていたまっさらな本心のさらに遥かの向こう側でどうしていまさらわめく声がするのだろう。
 どうしていまになって、

 ほんとうはきらいたくなんてなかった

 そんな声が、

 のろのろと立てた両膝を抱えて額を埋める。嗚咽もなく溢れる涙が腕を濡らした。紅蓮のことなどもうどうでもよかった。どうでもよくなってしまった。何がしかの感情を向けることそのものを彼女の無意識が拒絶していた。心の男が抉り取った部分がこの先虚無のままなのか、はたまた時とともに嫌悪や怨嗟の象牙を綺麗に嵌めていくのかも分からない。何でもいい。お前なんてもうどうでもいい。きっとお前もそうだったんだろう。人形のように乱暴に抱いて放っておけるほど私なんてどうでもよかったんだろう。お前も私と同じ感情を私に抱いているなんてそんなの願望が見せた美しい幻想でしかなかったんだろう。
 ――なあ、そうなんだろう。
 そうだったんだろう。
「…………いたい、よ」
 騰蛇。

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碧波 琉(あおば りゅう)
少年陰陽師・紅勾を中心に絶えず何かしら萌えor燃えている学生。
楽観主義者。突っ込み役。言葉選ばなさに定評がある。
ひとつに熱中すると他の事が目に入らない手につかない。

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