Be praying. Be praying. Be praying.
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アイソトープ:同位体。同じ原子番号を持つ元素の原子において、原子核の中性子(つまりその原子の質量数)が異なる核種の関係、あるいは核種である。
Wikipediaより引用。
ちょこちょこと書き進めて行ってたら長さが日記小話のレベルを余裕で超えました。まぁめんどいのでこっちでいいや、ということで。
アイソトープという言葉に出会ったとき浮かんだのは十二神将の生死のサイクルなんですが、どうにも話がずれた感がしてなりません。
R-15です。
事後だろうが事前だろうがあんまりはっきり描写してなけりゃ最中だろうがほっといてる私がつけるR指定なんで、まぁつまりそう言うことです。後半注意。前半健全。
普段のシリアスにをえろで和えてプラトニック風な雰囲気で仕上げたらわけわかんないことになりました。
Wikipediaより引用。
ちょこちょこと書き進めて行ってたら長さが日記小話のレベルを余裕で超えました。まぁめんどいのでこっちでいいや、ということで。
アイソトープという言葉に出会ったとき浮かんだのは十二神将の生死のサイクルなんですが、どうにも話がずれた感がしてなりません。
R-15です。
事後だろうが事前だろうがあんまりはっきり描写してなけりゃ最中だろうがほっといてる私がつけるR指定なんで、まぁつまりそう言うことです。後半注意。前半健全。
普段のシリアスにをえろで和えてプラトニック風な雰囲気で仕上げたらわけわかんないことになりました。
思ったよりも綺麗な部屋だった。大きな窓にかかるブラインドから漏れている夕暮れの光が、内装をどことなく重厚に仕立てあげている。ぴんと清潔に張ったベッドシーツの上に膝をついてブラインドを上げてみると、橙よりも柔らかく染まってた雲が不死鳥の羽を思わせる形で、東の端はもう昏い夕さりの空に広がっていた。最近の夕暮れ色はもうずっとこんな色だ。毎日異なる顔を見せる夕焼けを昔と変わらず美しいとは思うが、もっと強烈な、世界のすべてを押しつぶさんとばかりに深くとろけたあのくれないの夕暮れはもう見ることはできないのだろうかと思うと少し寂しい。あれは勾陣がもっとも好む色のひとつだった。写真を目にしたことがあるからどこかには広がっている景色なのだろうが、残念ながらこの目で見たことはここ数十年ほどない。人界に常駐するようになったのはここ数年の話であるが。
「ワインがある」
冷蔵庫を開けた紅蓮が呟いた。テーブルの上のグラスは何なのかと思っていたらそういうことらしい。
「白? 赤?」
「白。たぶんスパークリングワインだ」
「何円なんだ?」
「サービスです、みたいなこと書いてあるぞ」
「じゃあせっかくだ、あとで頂くか」
ブラインドを直して、勾陣はベッドに座り直す。向かいのベッドに腰を落ち着けた紅蓮がぐったりしたように息を吐いた。大型犬がくたんとへたっている姿を連想してしまい、勾陣ののどがくすりと音を立てた。
「……なんだ」
紅蓮の声は軽くむくれている。
「いや?」わざとらしくそらとぼけてみせた。不機嫌そうな理由の一因が己であることは薄々――いや、本当ははっきりと――気づいている。鈍感なふりで騙したいのは自分自身であるかもしれなかったが、これは勾陣の優しさでもあった。切羽詰まった危機を感じない以上、進んで踏み込むことはない。何年も――何百、何千年も、そうやってきた。第一この点においては過保護すぎる彼が悪い。
「早いところ夕食をとってしまおう」
ワイングラスの隣に置かれているレストラン案内を右手で取った。
昔、たとえば平安時代と比べると、妖の数、特に凶暴な妖の数は少なくなった。科学の進歩が破壊した生態系は、人間の知らない、彼らには見えない範囲まで及ぶ。しかし表の世界の生物達がすべて絶滅などしていないように、裏の世界の妖たちも数多く生き残っていて、それらは往々にして昔と比べるとよほど脆弱だが、いわゆる『オカルト現象』に耐性のない今の人間たちが覚える脅威には、昔との差もそうはあるまい。陰陽師に助けを求める人間は、陰陽師という職業そのものがスピリチュアルだかオカルトだかの括りに入れられてしまう――そもそも明治以降存在自体がアングラとなっているわけだが――現代でも多い。妖の数が減った分トラブルの発生件数も比例して減少しているのかもしれないが、依頼者が全国からやって来るせいで、体感的には件数が増えたようにも思われる。しかし安倍家以外にも陰陽師の家系はあるし、そうでなくとも西日本の依頼などは本家の領分のはずなのだが、『人間よりもフットワークが軽い』という理由で遠方の依頼が神将たちに押しつけられているのは、時々、納得がいかない。ちなみに紅蓮などは「確かに少なくとも行きの交通費がいらないのは経済的だが」などと言っている。正しいのだが、何かが違う気がする。
ただし遠方の仕事の時は一泊だ。風で送ってもらって仕事を終わらせて新幹線で帰れば日帰りもできるのだが、さすがにせわしなかろう、とは晴明の言である。どうせだから少し遊んでおいで、ということらしい。もちろんさっさと帰ってきてもかまわない、そのあたりは本人たちの気分次第だ。
ちなみに仕事内容だが、神将に任されるだけあって、人間の手には余るレベルの代物が多い。平たく言えば「どこそこに妖が出ているらしい、周りの様子から窺うに危険らしい、だからよろしく」ということだ。ポルターガイスト程度なら全国にいる分家の人間が対処するだろうし、呪詛やらなんやらとなったらむしろ人間の専門分野である。
炭酸の泡が舌の上でぱちぱちと弾ける。その刺激と呼応するように、耳の奥から響く音。ぱちぱちと。あまりアルコール分は感じなかったが、それは元々度数の低いものなのか、自分たちが神将であるからなのか。しかし悪くはない。炭酸はたまに欲しくなる。
「いつも思うが、ホテルの照明は暗いな」
「……ムードとか出すため?」
隣にいる紅蓮の答えに、わざと眉をしかめる。
「お前とムードが出ても嬉しくない」
とたんに彼は呆れと諦観と不満とが入り混じった奇妙な顔になった。
「あのな、お前、仮にも」
「私を侮る男とそんな空気になって何が楽しい」
言ってしまってから、その言葉を再び吸い込むように、グラスを傾ける。先ほどゆっくりと味わっていた炭酸が軽い痛みをもたらして、飲み干すときは少し苦しかった。
「勾」
紅蓮の声が固い。視線を向けてはやらない。
心がささくれている。自覚はある。ホテルに着いたときも、夕食中も、普通だったのに。今度これ作れ。無理だ六合に頼め。お前面倒くさがっているだけだろう。第一レシピがないじゃないか。そんなもの探せ。第一自分で作れ。いやだ面倒くさい。おい待て。いつものようにそんな会話をしていたのに。けれどどうしようとは思わない。無意識の善意だったとしても、仕掛けてきたのは紅蓮の方だ。彼はたまに、まったくの好意で勾陣を踏みにじろうとする。
ことりと音がした。
「勾」
再び呼ばれ、たと思ったら密着していた。グラスを取り上げられ、紅蓮の手が顔の輪郭をなぞる。くすぐるように。そのまま顎にたどり着いた指はくいと勾陣をあおのがせ。そして呼吸をひとつして、くちづけ。ささくれているはずの心に、反抗の意は浮かばなかった。皮膚の硬い手が片頬を包み込む。温かかった。
これは、もしかして、誘ったことになるのだろうか?
しかしだとすれば、紅蓮は解っているということになる。
ささくれが強くなる。
そのとき唇を割って入ってきたものがあった。
甘噛みよりも柔く歯を立ててから、応えた。
体の奥に声がある。無意識のレベルにおいて対等でいられないのならこんな関係などいらないと。いつから私は彼にとって庇護の対象に成り下がった? 望むのは、もしかしたら向き合うよりも心地の良いかもしれない背中合わせの関係。支え合い、必要とあらば寄り添い。愛情を持っていないときも信頼はあった。それを手放さなければ得られぬ愛情ならいらない。
それなのになぜ、こんなにも気持ちがいい?
ゆっくりと押され体がシーツに沈む。小さくきしみの音。それにまぎれて、ことりという音。取り上げたグラスをサイドテーブルにでも置いたのだろう。目を開ければほの暗く柔らかい照明が影を彫っている男の顔がすぐ傍にあった。緊張しているようで、どことなく憂えても見える。いつもこうならもう少し惚れてやるのに、と、つい数瞬前と矛盾したことを考えた。
紅蓮の手が左の腕をさすってくる。わずかに痛みが走った。
依頼はふたりの予想通り討伐だった。闘将を派遣したということでそれなりの妖を想像していたのだが、近年まれに見る、というのはさすがに言い過ぎか、しかしその地にはやっかいなものがいた。
昔に比べて増えた妖魔はひとつしかいない。――人の、思念。嫉妬、憎悪、苛立ち、不満、困窮、焦燥……。膨張しすぎた負の感情は、いつしかそれを産み落とした人の心から乖離し、みずから漂い始める。やがて、微弱な生物が寄り集まって身を守り、生殖していくように、微々たる個は同化し合い膨張していく。それらは意思を持たない。本能すら持たない。ただ己の増大のためにのみ動く。そのためになら、他の思念を飲み込み、妖を、動物を食い――人を喰らう。ただただ貪欲に。癒えぬ飢えを満たそうとするように。
この手の思念がやっかいなのは、意思も本能も持たぬくせに、目立てば何者か――言うまでもなく陰陽師だが――に調伏されてしまうと知っていることだ。元々人の生み出したものだからか、人間社会の単純なシステムだけは理解しているらしい。だから滅多に表に出てこない。人の立ち入らない山里だかに潜んでいる。見つからない。その間に巨大化していく。たまに現れる人を喰らおうとする。実際に喰う。簡単だ。人間に取り憑き、心を腐し、内部から壊すだけだ。そうでなくば手っとり早く切りかかって殺して食らうか。人の皮をかぶって街を闊歩するタイプは聞いたことがないが、聞かないだけではなく本当にいないのだと思いたいところだ。
「……これは人間の仕事じゃないのか」
「さすがに、ここまでになると手に負えないんだろう。晴明ならまだしも、おそらく今の昌浩の手にも余るぞ、これは。私たちがやった方が安全なのは確かだしな」
指示された山に足を踏み入れた瞬間、抜けるような青空からそよ吹く風の中に微量の瘴気が含まれていたのが分かった。すでに山丸々一つ分を縄張りにしているということだ。ひとつぽっちでふよふよと漂っているだけの思念など、神将たちにすら感じられないほど微弱なのだ。それがこれほど巨大化するとは、いったいどれだけの時をかけ、どれだけ寄り集まったのか。
人の心はばかにならない。強い願いは、時に神すら造り出したのだから。
とっとと襲われて返り討ちにするため人型を解かずに歩を進めた。深くへ行くたびに瘴気の匂いは濃くなってゆく。
「終わっても後始末がいるだろ、これ」
鬱陶しげに紅蓮がぼやく。まさか炎を使うわけにもいかまい。そもそも紅蓮の炎の特性は破壊に大きく傾いている。浄化も不可能なわけではないが、その場合山ひとつが全焼する。
一度妖にとって居心地のよい空間ができあがってしまえば、力あるものがいなくなっても、浄化しない限りはわらわらと別のものが根城にと集まってくるだろう。ヒエラルキーが崩れれば次座を狙うものが現れるのは必然だ。
紅蓮の視線を受けて、勾陣は鬱陶しげに答えた。
「やろうと思えばできるが……まあ、人間に任せればいいな」
「面倒くさがって」
「事実面倒なん」
――ふ。と。
背後に何か感じた。気配より弱い。強いて言えば心臓をざわつかせる不快な空気。
大きい。
ふたり同時に振り返った。
そこに漂っているのは、妖気――いや、悪意の塊。
「……黒いボルボックス」
「そんなこと言ってる場合か。相当でかいぞ、あれ」
どす黒く紫がかった粒子のようなものたちが、ぼやけた球を作り上げている。緊張感に欠ける勾陣の感想は的確にそれを言い表していた。ただ、この状況と、それから立ち上る不快な気――何かを強く憎む人間の周囲で覚える息苦しさを何百倍にも濃縮したような――に、その比喩は軽すぎてそぐわない。威嚇にと神気を立ち上らせれば、脅威を感じたのかそれはさらに寄り集まり膨らむ。
「取り敢えず焼くか?」
「いい考えだ」
ふっと笑った勾陣が、召喚した筆架叉を左手に突進した。
いくら元々は思念といえども、視認できるのならそれはすでに具現だ。
袈裟斬りに振り払う。
霧にも似た邪気が霧散する。
その隙間から覗いた、異様にどす黒い人形 。
あれが核だ。
紅蓮を一瞥し、素早く距離をとる。その瞬間、赤い炎蛇が放たれた。炎蛇に焼かれようとした刹那、
それは消えた。
気配だけは消えていない。
「……騰蛇?」
振り向いた勾陣に紅蓮は首を振る。
「手応えはなかった。…逃げられたのか?」
「どうやって。そもそもこのたぐいは別に能力など持っていないはずだろう」
力ある者と対峙したが最後、獲物の立場から逃れることはできなかった妖異のはずだ。弱者をのみ食い物にする、ある意味人間の醜い部分を凝縮したものとして『らしい』特性であるが。
苛立たしげに紅蓮は辺りを見回す。立ちこめる瘴気があのボルボックスもどきの居場所を掴ませない。
(……?)
ふと、勾陣は足下に違和感を覚えた。
地下に何かが、蛇のようにぬめりと這いずり回っている感覚。ひどく気持ち悪くて、不快な。気づいた瞬間肌が粟だった。今すぐどこか木の上にでも避難したいと一瞬思った。
紅蓮をちらりと見て見るものの、彼が何かを感じている様子はない。
勾陣は土将だ。呼吸をするように地の気を感じることができる。その能力は人型を取っていようがわずかも衰えることはない。
(…もしかして)
一歩、紅蓮から離れるように足を踏み出す。
「騰蛇、ひとつ仮説があるんだが。……今まで喰った妖の能力を吸収する、なんてことは」
「……有り得るな。嫌なレベルアップだ」
「レベルアップと言うか、クラスチェンジ?」
そうなればあれはもはや妄念を通り越して蠱毒だ。
紅蓮の舌打ちを風が届けた。
「能力が上がるのは昌浩のゲームのモンスターだけで充分だ」
「まったくだな」
軽口をたたきながら適度に紅蓮と距離を取ったところで、試しに神気を抑制してみる。どちらを襲おうか迷っているのだろうか、這いずり回っていた気配が、一瞬制止し、のそりと勾陣へ向かった。それを確認して抑制していた神気を元に戻す。気配は再び迷い始める。
あれは意思も本能も持たない。ただ、水が空中でもっとも体積の小さな形になろうとするように、存在を続ける限り、より強大になろうとする性質だけがある。より強大な力を欲する性質だけがある。
言い訳めいたものをしていいのなら、怒られるだろうなぁとは、思った。
紅蓮をちらりと見て、両手に筆架叉を構える。
神経を研ぎ澄ませ、彼女は、
そのまま神気をゼロにまで抑制した。
行為そのものはどちらかと言えば嫌いだ。もどかしく服を脱がされていく羞恥も、触れ合う肌の心地よさも、こぼれ出る耳慣れぬ声も、最終的に脳髄が白く溶かされていく感覚も、何もかも自分の意思を無視して気持ちが悪い。心と体の乖離は、勾陣にとって恐怖に等しかった。それをゆっくりと溶かしてくれる、皮の硬い大きな手の優しさと体温も、本当は少し、嫌いだった。自らが触れていることさえ惜しむかのようなねんごろな手つきが、大事にされているのだと実感することが、とても心地よくてとても好きだけれど、そうして勾陣を大事にする紅蓮のことが、少し、嫌いだった。
長いキスをした。触れるだけの。あまりに長くて苦しくなる。一瞬、離れた、息継ぎついでに手を伸ばし彼の首に絡めて、今度は自ら行ってやった。その間に浴衣をはだけさせていく指が時たま肌に触れてくすぐったい。
「……怒っているな」
呟いた紅蓮が耳の裏を舐め上げる。小さく跳ねた肩を誤魔化し、見えないと分かっていて好戦的に笑んでみせた。
「お前が、な」
腕を離す。
耳元で憮然と彼は言った。
「何が悪い」
少し離れて、紅蓮はまっすぐに勾陣を見つめる。誰とも――勾陣と――共有できない孤独な悲しみが、薄い色をした瞳の奥でひそやかに揺らいでいた。どうせお前には理解できないと言いたげなその色は、けれどきっと、勾陣も今浮かべている。
理解できないわけではない。ただ理解したくないだけ。お互いに。
仕掛けたのは自分であるのに、なぜか堪えきれなくなって、勾陣はそっと目を閉じた。昔からこの色が苦手だった。やんわりと拒絶を突きつけられているようで――突きつけたのも自分であるのに。
身勝手だ。分かっている。
煽るような指が腹をくすぐった。
刺激を覚悟していたが、訪れたのは口づけだった。瞼に押しつけられた唇は、一秒もたたぬうちに離れる。
髪の生え際、頬、首筋、肩、胸元、鎖骨の下、腕、腹、腿――紅蓮が手始めに彼女の体に残る傷跡へキスを落としていくのはいつものことなのだが、いつもよりよほど、入念に。蜻蛉の羽のように薄くひび割れた硝子を指先でつまみ上げているかのように。この行為も、勾陣は少し、嫌いだった。脆くなってしまった錯覚がする。もうすぐ壊れてしまうような錯覚がする。
すでに傷など残っていない箇所にも口づけは訪れた。怪我など珍しいことではないので治ってしまった傷などそのはしから勾陣は忘れてしまっていくのだが、それらすべてを、彼は覚えているとでも言うのだろうか。
口づけが左腕の真新しい傷に到達したとき、熱をくゆらせはじめていた吐息が無意識に止まった。すでに塞がり、薄桃色の肉と皮膚の張っているその傷など、三日もせぬうちに消えるだろう。しかしどうしてか、そう、シャワーを浴びたときに自分で触れても、塞がったのだからとそのまま放っておいて浴衣を着ても、痛みなどまったくなかったのに、紅蓮に触れられて鋭くうずく。
「痛いか」
その声音は淡々と、案じる響きも隠されている。それでも優しい。
紅蓮はその箇所にぬるりと舌を這わせた。
また、うずく。
「そんなわけあるか。もう塞がっているんだ」
「勾」
勾陣の顔を覗き込んだ紅蓮は、ひどく硬質な目をしていた。何か大切な感情を押しつぶして、もっと大事な心を優先している。放り投げた感情が顔を覗かせないように頑なになる。鏡が欲しいなと思った。どちらの方がより頑なな表情をしているだろうか比べてみたかった。
「……勾、なぁ、何が悪い?」
それは、すべての答えを分かっていながら敢えて何も知らない子供に尋ねかける、ずるい大人の声によく似ている。
「お前、今まで何回無茶をした? それで何回、しなくてもいいような怪我をした? …心配して、何が悪い。俺の目の前で死にかけた……いや、実際一度死んで、俺がいなかったらそのまま終わってたお前が、俺に向かって心配するなとか、それが嫌だとか、言える義理じゃないだろうが」
正論だ。彼の正論は子供の正義のようにまっすぐで揺るぎない。長くて深い付き合いでそれくらい嫌というほど染み込んでいる。
紅蓮の指が胸元をなぞる。白い肌にくっきりと刻み込まれた醜い傷痕は、もうずいぶん薄くなっている。しかし完全に消えてはいない――消えることはないのかもしれない。闘将の治癒力と千年という月日をもってして残る痕だ。心臓より少しずれた場所。衝撃も苦痛も時の砂にうずもれて忘れ去った、それでも覚えていることがある。そう、確かにあのとき、彼女は死んだ。心臓の音が止まったのを、つめたく昏い無意識の海底で、彼女は真実聞いたのだ。そして何も分からなくなって――引き上げ、冷えた体を温めてくれた声を、聞いた。優しく悲痛な声を。
彼の優しさを厭うようになったのは、それからだ。
「…………早く」
耳元でささやく。
紅蓮は誤魔化されてくれた。ただ、傷つけようとするように荒々しい口づけは、唇を割って進入し、勾陣を蹂躙するその舌は、分かっていると告げていた。勾陣も分かっていた。紅蓮がすべて諒解してすれ違うことを選んだのと同じように、勾陣もまた何もかも知っていてすれ違うことを選んだ。分かりあっている。すれ違っている。しかしその分、愛している。
理解できてしまうというのは時に残酷だと彼は思った。
しっとりと豊満な胸の、色づいた頂を唇で軽く食むと、頭上にくぐもった熱っぽい吐息を感じた。声を上げることを極端に嫌う彼女はいつも限界ぎりぎりまで耐えようとする。その姿が紅蓮の征服欲をそそってやまないのだが、声が上がったら上がったで情欲がいいだけ煽られたりもする。瑞々しい弾力に満ちた乳房は紅蓮の手に自ら吸いつくようだ。口に含んだものを舌先で遊ばせながらやわく揉みしだいてやるだけで、声を押し殺した吐息が荒くなっていくのが感じられた。
紅蓮は彼女の苛立ちの理由が自分にあることを知っていたが、自分の不機嫌は彼女に帰結することも自覚していた。卵が先か、鶏が先か。しかし勾陣の矜持を踏みにじってまで優先したい自らの感情の正体など、もしかしたら永久に気づかぬままだった方が、紅蓮にとっても勾陣にとっても幸福であったかもしれないとは考える。
我が身を顧みない傾向が勾陣にはある。それは自分に無頓着、と言うよりはむしろ彼女の美学であるようだった。力を持つ者として当然で、そして勝手で傲慢な美意識。自分が率先して先陣を切ることで、他の者をできるだけ安全にしようと。それを裏付けるように彼女は接近戦を好む。
この昼のことも、紅蓮のことを考えた結果だと彼女は言う。
ふと、勾陣の神気が、徒人の霊気程度に落ちた。
何事かと驚愕して振り返ると、土中から突如現れた黒い思念体が彼女に襲いかかっているところだった。見失ったそれが地面に潜んでいたことを彼はそのとき初めて知った。
思わず名を叫んだ。
しかし左上腕部の怪我と引き替えにそれを討ち取った彼女は、悪びれもせずに落ち着いた様子で紅蓮の方を向いて「終わったぞ」と静かに言ったのだった。
なぜ言わなかったと問えば、言ったところでお前は対処できたのかと逆に訪ねかけられ返答に窮する。
しかし彼女の判断に納得などできなかった。
声と吐息の狭間のような息は甘く熱く、彼の欲を膨らませていく。時たまうわごとのように騰蛇と呼ぶ彼女の声はすでに常より少し高くかすれていた。しこる先端を指で転がしながら、鎖骨、首筋、耳の裏へと舌を這わす。震える細腕が紅蓮の肩にしがみつくが、武器を扱うための短い爪など立てられても痛みはなかった。首筋へ強く吸いつく。ぴくりと反応を示すものの、強情に声は抑えられたままで、その姿勢がいじらしくて紅蓮は軽く笑った。
「…ほら。声、聞かせろ」
耳元で低く囁く。
が、返ってきたのは不敵な笑みの気配だった。
「……近所迷惑、だろう……、…」
「お前本当に可愛くないな…」
「は…、今更、何……ぁ…」
なおも続く可愛くない台詞の途中で弄んでいたそれを押し込んでやる。とうとう上がった小さな声に、褒めるように紅い唇を舌で舐める。白い肌はとっくに色づいていて、時折もどかしそうに腰が動く。彼女の欲もそろそろ溢れだしているころなのだろうが、まだそこに手を伸ばすつもりはなかった。仕置きがてらにとことん焦らしてやるつもりだった。発想が軽く変態じみているが改めるつもりもない。
声や体なら、こんなに簡単に支配できるのに。
勾陣は紅蓮を過保護だと言うが、紅蓮の言い分としては勾陣が無茶ばかりしすぎるのだ。白い肌に残る傷跡はその証で、もっともひどい無茶――彼女が死にかけた、あのときの――ものなど、千年たってなお醜くひきつれた姿をさらしている。
彼女の望みならできるだけ何でも叶えてやろうと、ひそかに紅蓮は心に決めている。意に反することはしたくないし、与えるのなら愛情と優しさがいい。もしも今彼女が心からの拒絶を示したら、そのまま行為を中断することすらやぶさかではなかった。――実際にできるかどうかは分からないのが男の悲しい性ではあるが、しかし紅蓮の心づもりに偽りはない。
そう、何でも叶えてやろう。ただひとつ、彼女が傷つく結果に終わる以外のわがままであれば、何でも。
そこにはひどい矛盾が潜んでいる。勾陣が傷つくことを何より厭いながら、同時にそのためになら紅蓮がどれだけ彼女を傷つけてもかまわない。そして、それでいいのだと、諦めている。
勾陣が紅蓮の心配を嫌うのは、彼女自らの力と強さが何よりもの矜持であるからだ。事実、よほどの危機が訪れない限り心配の必要など本当はないほど彼女は強い。今日の一件など、むしろ心配する方がどうかしてるほどの些細なものだった。
それでも。
「なぁ、勾――」
すべての愛撫を一度止めて、彼は凪いだ声で言った。きゅうと閉じられていた瞼が開き、至上の夜闇を水面に溶かしたかのような双眸が現れた。ただ、その湖面は情欲に揺らめいている。けれども彼女は紅蓮の声に真剣に応えた。
「…何だ?」
息を整えようとしている様が愛おしくて仕方がない。
紅蓮は少しだけ、泣きたくなった。
どうしてこんな簡単なことだけ俺たちは分かりあえないんだろう。
「怖いんだといったら、分かってくれるか?」
一瞬、傷を負ったような色が見えた。
目を伏せた彼女は、答えてくれなかった。
紅蓮が踏みにじっているのは『勾陣』のプライドだ。
しかし、騰蛇が勾陣を頼もしく思う心と、紅蓮が慧斗を案ずる気持ちは互いに相反し得るものではなく、むしろまったく同質のものだった。『勾陣』と『慧斗』を無意識下で意図的に同一視しようとする彼女に、これを分かってもらうことなど不可能なのかもしれない。
ならばせめて感情だけでも。
失い置いて行かれる側の恐怖を寂寥を哀絶を、知らないお前ではないだろうに。
明日世界が終わっても彼は恐怖など感じないだろう。
怖いのは、今在る者のいない明日。
それ以上に怖いのが、慧斗がいないのに勾陣だけがいる、明日だ。
怒っていると言うのに彼の手つきは執拗で優しかった。力づくに犯すようであったなら、勾陣だって頑なに耐えることができただろうに。いや、むしろその方がありがたかった。
怖いのだと言う彼の声は、ともすれば遙かな昔に独りきりだった際の彼の声音にも通じていた。静かすぎる声音の奥にある孤独な悲しみは、先ほど彼の瞳に見つけてしまったものと同じだった。そんな声を出させてしまったことが少しだけつきりと痛くて、しかし甘い痺れが痛みすら覆い隠してしまったことがどこか汚らわしく思えて悔しかった。
「っぁ…、……騰蛇、」
それを誤魔化すために呼び、さらに深くすがりつこうとして、しかしその手はやんわりと押さえつけられた。なぜ。目で問いかけると紅蓮はどこまでも柔らかい微笑を浮かべて一度くしゃりと勾陣の髪を撫で、いとも容易く彼女の肢体を反転させた。肌に纏わりつき動きを抑制するだけだった服がはぎ取られ、空気の流れに震えた背を紅蓮の指がつい…となぞった。うずいて仕方のない体にその愛撫はもどかしすぎて、それなのに甘い感覚だけがぴりぴりと脊髄に伝わる。たまらなくなって枕に噛みつき、声を殺した。
下腹部が熱くて仕方がない。
たまに、この関係は何なのだろうと疑問に思うときがある。
同胞だ。けれどそれだけではない。恋仲ではあるが、たとえば口付けを許していなくても自分たちは確かに恋仲で、情事を重ねてなお二人はかけがえのない友人だった。恋情に付随するはずの他の思い――嫉妬だとか寂寞だとか独占欲だとか――は、あるにはある。しかしたまに思い出す程度で、とても弱い。他者を見ていればそれくらい自覚できる。けれども単なる友人であるなどあり得ない、勾陣の貞操観念は強い方であるし、何より生殖という本能を持たない十二神将にとっては情交は愛情表現以外の何物でもあり得ないのだ。
言葉は、強大な力を持つ割には不完全で、大切なことほど表せれない。
この、曖昧ですべてである関係に付けるべき名など未来永劫どこにもあるはずはなく。
それでも敢えて言うのなら、『私とお前/俺とお前』。
そして表現された自分たちのすべては、互いでなければならないのだという意味を絶対的に含んでいる。
勾陣は彼が何を怖がっているのかを識っている。それは勾陣とて怖れるものであるから。それでもこの矜持を折り曲げようとするものなど、たとえ自らの強い真実であろうと許さない。申し訳ないとか愚かしいとか、思うときだってある。
けれど今さら自分の核を変えてしまうことなんて、できない。
紅蓮は強く怖れている。
勾陣の死とはすなわち『ふたり』の消失。
そうして紡ぐ記憶を失い、新たな『二人』に上書きされてしまうことを、彼は何より怖れている。
「勾、どうだ…?」
「な、にが……っ、ぅん…」
憎まれ口を聞いてやる余裕がそろそろない。そのことを外に出すのが癪で荒い息の継ぎ目に答えるものの、そうすると声が出そうになる。どうすればいいのか、思考は徐々に気持ちよさに溶けてきている。背を指だけで焦れったくなぞられることに弱かった。首筋から背にかけて這う舌はのどを潤そうとする犬のようで、さらにシーツと擦れる胸からも快感は届けられ、それなのに上り詰めるには足りない。
強情だな、と紅蓮が笑った。
「きついんじゃないのか?」
原因が何を。うるさい、と返すが、どのみち彼を悦ばせるばかりだと気づいてしがみついている枕に再び顔を埋める。刺激に集中してしまうのがいけないのだ。何か思考の逃がし場所を探して――普段なら考えつかないところへ転がり込んだ。耳元で、勾、と呼ばれる。肩が跳ねた。そして、こんなときでさえ私たちは名を呼ばないな、と思った。
呼び合ったことはないが、互いに呼んだことならある。ただ、紅蓮が呼んだのは勾陣の命の危機のときで、勾陣が呼んだのは単なる戯れだった。自分のことを『勾』と呼ぶ理由をはぐらかされ――たとさえ言えない、あんな不自然でつたないかわし方――その仕返しのように。
――何食わぬ顔を装いながら、本当は許されるなんて思っていなかった。あの名前は、彼のとても大切なもので。彼が生まれて初めて手に入れた宝物で。むやみやたらと呼ばれて手垢の付くことを怖れるかのように、彼はたった二人にしか呼ぶことを許さなかった。その中に勾陣はいなかった。当然と受け止めそれでいいのだと呟きながら、利己的な心の一部が寂しいのだと息を吐いていた。
きれいな響きだと羨んでいた。晴明と昌浩を、羨んでいた。許されていることが羨ましくて、妬ましいほどだった。
――『紅蓮』
それでもあのときは、
――何となくだ、気にするな。
半分だけ。
半分、許されると思った。もう半分は、許されないと思った。――それでもやはり、許してくれるだろうと、確信していた。
とても幸福な傲慢。
ふと、唐突に。
(……あぁ、そうか)
愛されるとは許されることだ。現に今、勾陣も紅蓮に心と体の両方を許して受け入れている。互いに許せないことはたったひとつだけ、しかしそれも、もしかしたら本当は、ある意味では許していることになるのかもしれない。すれ違いを見せながら、それでも互いに否定はしないのだから。否定と言うより単なるわがままで、それは許されるという前提の上にはじめて成り立つものだ。
死ぬ、とは、
もう許されなくなると言うこと。
勾陣 が紅蓮 に愛されなくなると言うことか。
今、紅蓮と呼んでやったら彼はどんな反応をするだろう。あのときのように呆けた反応を見せるだろうか、それとも呼び返してくるだろうか。小さく笑い、試してみようかと後ろを振り返ろうとして、
それは来た。
ぐしょぐしょに濡れそぼった花を分け入った突然の進入者はそのまま内壁を擦り、さらにはもう一本の指が泉の中の芯を見つけだして押しつぶした。弱い刺激でいいだけ高ぶらされていた熱が一気に弾ける。たまらずに突っ伏し、強く瞼を閉じたはずの世界は白い。悲鳴のような声が上がった。手で口を覆おうとしたが、彼はそれを許さなかった。
だめ。いや。もう。
そんな言葉を言うことすら叶わず、くたりと力の抜けた体がシーツに沈んだ。強すぎた感覚にこぼれた涙が布を濡らした。
抱き上げて仰向けにするだけで、余韻に痺れる彼女の体は何度もぴくりと反応した。指を濡らしたものを舐めながら、目元に溜まっているものを見て、さすがに無理をさせたかと反省する。ぬぐってやるともの言いたげな色を宿す双眸が現れ思いきり睨まれた。
「…いきなり、やりすぎ、だ、たわけ……!」
普段の迫力などまるで窺えないが、紅蓮は軽く手を挙げて降参の意を示した。確かに緩急の切り替えは激しすぎた。
「悪かった」
ふっくらとした唇が唾液に濡れて普段よりいっそう紅くなまめかしい。食らいつく。その唇に、応える舌に、歯や歯茎、上顎も、余さずたっぷりといじめてから離し、頬に張り付いている髪を払ってやると、冷めやらぬ熱が再び煽られるのか勾陣はむず痒そうに身じろいだ。
「辛くないか?」
聞いたそばから手早く服を脱いでいく紅蓮に勾陣は苦笑気味にうなずいた。
「お前も、気は済んだみたいだな」
一瞬目を丸くし、紅蓮もつられて乾いた笑みを浮かべた。紅蓮に黙って無茶をしたことへの怒りも分かってくれないことへの痛みもいつの間にか消えていた。そんなもの、彼女をひたすらに愛するのには邪魔でしかなかった。
「……なんだ、ばれたか」
「お前は分かりやすいからな。むしろ騙せると思ったのか。私も安く見られたものだな」
「お前、まだ怒ってるのか」
「どうだと思う?」
「怒ってないだろ」
「……さて」
余談だが彼女が素直にさらしてくるのは怒りだけである。第一先ほど彼女はお前『も』と言った。
熟れた頬にキスを落として、足を開かせる。両手をシーツに押しつけて、唇をキスで塞ぐ。
そうして言葉も抵抗も何もかも奪っておいて、腰を沈めた。ひくついてまとわりつくようなそこは、火傷を負うかと思うほどに熱い。痛みのためかくぐもった声があがるが、それは紅蓮ののどに直接吸い込まれた。覚えたのは達成された征服欲と、少しばかり倒錯した悦びだった。
言葉通り『ひとつになれ』たらいいのにと思う。どれだけ深く求め合おうが繋がるのは影くらいのもので、しかし暗い室内に影は存在できない。そうして、快楽でどろどろに溶けた脳髄ごと本当に重なりあって、混ざりあって、離れることのできない『ふたり』という『ひとつ』になってしまえばいいのに。そうすれば永劫失うことなどない。上書きされることもない。
不可能と知っているから「もし」を描く。
失うことは怖い。だが、今はもう、そんな感情はいらなかった。むさぼり合う悦楽の前では言葉すら邪魔だった。ただ、獣のように。本能のように。あぁ、真実『愛する』という本能が存在したらいい。できるならそれは『お前を愛する』という本能であればいい。紅蓮の理性と感情がかけがえのないと感じる彼女が、本能に組み込まれているほど深淵に唯一であればいい。それは願いなどではなかった。そんな不確かなものではなかった。敢えて言うなら、それこそが『ふたり』としての証だった。紅蓮の心の一部は勾陣に奪われて二度と返ってこない。――そんな幸せが他にあるだろうか。
勾。呼ぶ。それすら刺激になるのか細い体が痙攣する。そう言えばこの呼び名も目の前の彼女以外に使うことなどあり得ない音であったなとふと思い出した。
濡れた悲鳴が限界を訴えた。
呼応するように白い感覚がすべての思考を一瞬燃やす。
殺されそうな幸福間と悦びの中で、彼女の耳元に唇を寄せ、そっと囁いた。
――勾。
「ワインがある」
冷蔵庫を開けた紅蓮が呟いた。テーブルの上のグラスは何なのかと思っていたらそういうことらしい。
「白? 赤?」
「白。たぶんスパークリングワインだ」
「何円なんだ?」
「サービスです、みたいなこと書いてあるぞ」
「じゃあせっかくだ、あとで頂くか」
ブラインドを直して、勾陣はベッドに座り直す。向かいのベッドに腰を落ち着けた紅蓮がぐったりしたように息を吐いた。大型犬がくたんとへたっている姿を連想してしまい、勾陣ののどがくすりと音を立てた。
「……なんだ」
紅蓮の声は軽くむくれている。
「いや?」わざとらしくそらとぼけてみせた。不機嫌そうな理由の一因が己であることは薄々――いや、本当ははっきりと――気づいている。鈍感なふりで騙したいのは自分自身であるかもしれなかったが、これは勾陣の優しさでもあった。切羽詰まった危機を感じない以上、進んで踏み込むことはない。何年も――何百、何千年も、そうやってきた。第一この点においては過保護すぎる彼が悪い。
「早いところ夕食をとってしまおう」
ワイングラスの隣に置かれているレストラン案内を右手で取った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
昔、たとえば平安時代と比べると、妖の数、特に凶暴な妖の数は少なくなった。科学の進歩が破壊した生態系は、人間の知らない、彼らには見えない範囲まで及ぶ。しかし表の世界の生物達がすべて絶滅などしていないように、裏の世界の妖たちも数多く生き残っていて、それらは往々にして昔と比べるとよほど脆弱だが、いわゆる『オカルト現象』に耐性のない今の人間たちが覚える脅威には、昔との差もそうはあるまい。陰陽師に助けを求める人間は、陰陽師という職業そのものがスピリチュアルだかオカルトだかの括りに入れられてしまう――そもそも明治以降存在自体がアングラとなっているわけだが――現代でも多い。妖の数が減った分トラブルの発生件数も比例して減少しているのかもしれないが、依頼者が全国からやって来るせいで、体感的には件数が増えたようにも思われる。しかし安倍家以外にも陰陽師の家系はあるし、そうでなくとも西日本の依頼などは本家の領分のはずなのだが、『人間よりもフットワークが軽い』という理由で遠方の依頼が神将たちに押しつけられているのは、時々、納得がいかない。ちなみに紅蓮などは「確かに少なくとも行きの交通費がいらないのは経済的だが」などと言っている。正しいのだが、何かが違う気がする。
ただし遠方の仕事の時は一泊だ。風で送ってもらって仕事を終わらせて新幹線で帰れば日帰りもできるのだが、さすがにせわしなかろう、とは晴明の言である。どうせだから少し遊んでおいで、ということらしい。もちろんさっさと帰ってきてもかまわない、そのあたりは本人たちの気分次第だ。
ちなみに仕事内容だが、神将に任されるだけあって、人間の手には余るレベルの代物が多い。平たく言えば「どこそこに妖が出ているらしい、周りの様子から窺うに危険らしい、だからよろしく」ということだ。ポルターガイスト程度なら全国にいる分家の人間が対処するだろうし、呪詛やらなんやらとなったらむしろ人間の専門分野である。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
炭酸の泡が舌の上でぱちぱちと弾ける。その刺激と呼応するように、耳の奥から響く音。ぱちぱちと。あまりアルコール分は感じなかったが、それは元々度数の低いものなのか、自分たちが神将であるからなのか。しかし悪くはない。炭酸はたまに欲しくなる。
「いつも思うが、ホテルの照明は暗いな」
「……ムードとか出すため?」
隣にいる紅蓮の答えに、わざと眉をしかめる。
「お前とムードが出ても嬉しくない」
とたんに彼は呆れと諦観と不満とが入り混じった奇妙な顔になった。
「あのな、お前、仮にも」
「私を侮る男とそんな空気になって何が楽しい」
言ってしまってから、その言葉を再び吸い込むように、グラスを傾ける。先ほどゆっくりと味わっていた炭酸が軽い痛みをもたらして、飲み干すときは少し苦しかった。
「勾」
紅蓮の声が固い。視線を向けてはやらない。
心がささくれている。自覚はある。ホテルに着いたときも、夕食中も、普通だったのに。今度これ作れ。無理だ六合に頼め。お前面倒くさがっているだけだろう。第一レシピがないじゃないか。そんなもの探せ。第一自分で作れ。いやだ面倒くさい。おい待て。いつものようにそんな会話をしていたのに。けれどどうしようとは思わない。無意識の善意だったとしても、仕掛けてきたのは紅蓮の方だ。彼はたまに、まったくの好意で勾陣を踏みにじろうとする。
ことりと音がした。
「勾」
再び呼ばれ、たと思ったら密着していた。グラスを取り上げられ、紅蓮の手が顔の輪郭をなぞる。くすぐるように。そのまま顎にたどり着いた指はくいと勾陣をあおのがせ。そして呼吸をひとつして、くちづけ。ささくれているはずの心に、反抗の意は浮かばなかった。皮膚の硬い手が片頬を包み込む。温かかった。
これは、もしかして、誘ったことになるのだろうか?
しかしだとすれば、紅蓮は解っているということになる。
ささくれが強くなる。
そのとき唇を割って入ってきたものがあった。
甘噛みよりも柔く歯を立ててから、応えた。
体の奥に声がある。無意識のレベルにおいて対等でいられないのならこんな関係などいらないと。いつから私は彼にとって庇護の対象に成り下がった? 望むのは、もしかしたら向き合うよりも心地の良いかもしれない背中合わせの関係。支え合い、必要とあらば寄り添い。愛情を持っていないときも信頼はあった。それを手放さなければ得られぬ愛情ならいらない。
それなのになぜ、こんなにも気持ちがいい?
ゆっくりと押され体がシーツに沈む。小さくきしみの音。それにまぎれて、ことりという音。取り上げたグラスをサイドテーブルにでも置いたのだろう。目を開ければほの暗く柔らかい照明が影を彫っている男の顔がすぐ傍にあった。緊張しているようで、どことなく憂えても見える。いつもこうならもう少し惚れてやるのに、と、つい数瞬前と矛盾したことを考えた。
紅蓮の手が左の腕をさすってくる。わずかに痛みが走った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
依頼はふたりの予想通り討伐だった。闘将を派遣したということでそれなりの妖を想像していたのだが、近年まれに見る、というのはさすがに言い過ぎか、しかしその地にはやっかいなものがいた。
昔に比べて増えた妖魔はひとつしかいない。――人の、思念。嫉妬、憎悪、苛立ち、不満、困窮、焦燥……。膨張しすぎた負の感情は、いつしかそれを産み落とした人の心から乖離し、みずから漂い始める。やがて、微弱な生物が寄り集まって身を守り、生殖していくように、微々たる個は同化し合い膨張していく。それらは意思を持たない。本能すら持たない。ただ己の増大のためにのみ動く。そのためになら、他の思念を飲み込み、妖を、動物を食い――人を喰らう。ただただ貪欲に。癒えぬ飢えを満たそうとするように。
この手の思念がやっかいなのは、意思も本能も持たぬくせに、目立てば何者か――言うまでもなく陰陽師だが――に調伏されてしまうと知っていることだ。元々人の生み出したものだからか、人間社会の単純なシステムだけは理解しているらしい。だから滅多に表に出てこない。人の立ち入らない山里だかに潜んでいる。見つからない。その間に巨大化していく。たまに現れる人を喰らおうとする。実際に喰う。簡単だ。人間に取り憑き、心を腐し、内部から壊すだけだ。そうでなくば手っとり早く切りかかって殺して食らうか。人の皮をかぶって街を闊歩するタイプは聞いたことがないが、聞かないだけではなく本当にいないのだと思いたいところだ。
「……これは人間の仕事じゃないのか」
「さすがに、ここまでになると手に負えないんだろう。晴明ならまだしも、おそらく今の昌浩の手にも余るぞ、これは。私たちがやった方が安全なのは確かだしな」
指示された山に足を踏み入れた瞬間、抜けるような青空からそよ吹く風の中に微量の瘴気が含まれていたのが分かった。すでに山丸々一つ分を縄張りにしているということだ。ひとつぽっちでふよふよと漂っているだけの思念など、神将たちにすら感じられないほど微弱なのだ。それがこれほど巨大化するとは、いったいどれだけの時をかけ、どれだけ寄り集まったのか。
人の心はばかにならない。強い願いは、時に神すら造り出したのだから。
とっとと襲われて返り討ちにするため人型を解かずに歩を進めた。深くへ行くたびに瘴気の匂いは濃くなってゆく。
「終わっても後始末がいるだろ、これ」
鬱陶しげに紅蓮がぼやく。まさか炎を使うわけにもいかまい。そもそも紅蓮の炎の特性は破壊に大きく傾いている。浄化も不可能なわけではないが、その場合山ひとつが全焼する。
一度妖にとって居心地のよい空間ができあがってしまえば、力あるものがいなくなっても、浄化しない限りはわらわらと別のものが根城にと集まってくるだろう。ヒエラルキーが崩れれば次座を狙うものが現れるのは必然だ。
紅蓮の視線を受けて、勾陣は鬱陶しげに答えた。
「やろうと思えばできるが……まあ、人間に任せればいいな」
「面倒くさがって」
「事実面倒なん」
――ふ。と。
背後に何か感じた。気配より弱い。強いて言えば心臓をざわつかせる不快な空気。
大きい。
ふたり同時に振り返った。
そこに漂っているのは、妖気――いや、悪意の塊。
「……黒いボルボックス」
「そんなこと言ってる場合か。相当でかいぞ、あれ」
どす黒く紫がかった粒子のようなものたちが、ぼやけた球を作り上げている。緊張感に欠ける勾陣の感想は的確にそれを言い表していた。ただ、この状況と、それから立ち上る不快な気――何かを強く憎む人間の周囲で覚える息苦しさを何百倍にも濃縮したような――に、その比喩は軽すぎてそぐわない。威嚇にと神気を立ち上らせれば、脅威を感じたのかそれはさらに寄り集まり膨らむ。
「取り敢えず焼くか?」
「いい考えだ」
ふっと笑った勾陣が、召喚した筆架叉を左手に突進した。
いくら元々は思念といえども、視認できるのならそれはすでに具現だ。
袈裟斬りに振り払う。
霧にも似た邪気が霧散する。
その隙間から覗いた、異様にどす黒い
あれが核だ。
紅蓮を一瞥し、素早く距離をとる。その瞬間、赤い炎蛇が放たれた。炎蛇に焼かれようとした刹那、
それは消えた。
気配だけは消えていない。
「……騰蛇?」
振り向いた勾陣に紅蓮は首を振る。
「手応えはなかった。…逃げられたのか?」
「どうやって。そもそもこのたぐいは別に能力など持っていないはずだろう」
力ある者と対峙したが最後、獲物の立場から逃れることはできなかった妖異のはずだ。弱者をのみ食い物にする、ある意味人間の醜い部分を凝縮したものとして『らしい』特性であるが。
苛立たしげに紅蓮は辺りを見回す。立ちこめる瘴気があのボルボックスもどきの居場所を掴ませない。
(……?)
ふと、勾陣は足下に違和感を覚えた。
地下に何かが、蛇のようにぬめりと這いずり回っている感覚。ひどく気持ち悪くて、不快な。気づいた瞬間肌が粟だった。今すぐどこか木の上にでも避難したいと一瞬思った。
紅蓮をちらりと見て見るものの、彼が何かを感じている様子はない。
勾陣は土将だ。呼吸をするように地の気を感じることができる。その能力は人型を取っていようがわずかも衰えることはない。
(…もしかして)
一歩、紅蓮から離れるように足を踏み出す。
「騰蛇、ひとつ仮説があるんだが。……今まで喰った妖の能力を吸収する、なんてことは」
「……有り得るな。嫌なレベルアップだ」
「レベルアップと言うか、クラスチェンジ?」
そうなればあれはもはや妄念を通り越して蠱毒だ。
紅蓮の舌打ちを風が届けた。
「能力が上がるのは昌浩のゲームのモンスターだけで充分だ」
「まったくだな」
軽口をたたきながら適度に紅蓮と距離を取ったところで、試しに神気を抑制してみる。どちらを襲おうか迷っているのだろうか、這いずり回っていた気配が、一瞬制止し、のそりと勾陣へ向かった。それを確認して抑制していた神気を元に戻す。気配は再び迷い始める。
あれは意思も本能も持たない。ただ、水が空中でもっとも体積の小さな形になろうとするように、存在を続ける限り、より強大になろうとする性質だけがある。より強大な力を欲する性質だけがある。
言い訳めいたものをしていいのなら、怒られるだろうなぁとは、思った。
紅蓮をちらりと見て、両手に筆架叉を構える。
神経を研ぎ澄ませ、彼女は、
そのまま神気をゼロにまで抑制した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
行為そのものはどちらかと言えば嫌いだ。もどかしく服を脱がされていく羞恥も、触れ合う肌の心地よさも、こぼれ出る耳慣れぬ声も、最終的に脳髄が白く溶かされていく感覚も、何もかも自分の意思を無視して気持ちが悪い。心と体の乖離は、勾陣にとって恐怖に等しかった。それをゆっくりと溶かしてくれる、皮の硬い大きな手の優しさと体温も、本当は少し、嫌いだった。自らが触れていることさえ惜しむかのようなねんごろな手つきが、大事にされているのだと実感することが、とても心地よくてとても好きだけれど、そうして勾陣を大事にする紅蓮のことが、少し、嫌いだった。
長いキスをした。触れるだけの。あまりに長くて苦しくなる。一瞬、離れた、息継ぎついでに手を伸ばし彼の首に絡めて、今度は自ら行ってやった。その間に浴衣をはだけさせていく指が時たま肌に触れてくすぐったい。
「……怒っているな」
呟いた紅蓮が耳の裏を舐め上げる。小さく跳ねた肩を誤魔化し、見えないと分かっていて好戦的に笑んでみせた。
「お前が、な」
腕を離す。
耳元で憮然と彼は言った。
「何が悪い」
少し離れて、紅蓮はまっすぐに勾陣を見つめる。誰とも――勾陣と――共有できない孤独な悲しみが、薄い色をした瞳の奥でひそやかに揺らいでいた。どうせお前には理解できないと言いたげなその色は、けれどきっと、勾陣も今浮かべている。
理解できないわけではない。ただ理解したくないだけ。お互いに。
仕掛けたのは自分であるのに、なぜか堪えきれなくなって、勾陣はそっと目を閉じた。昔からこの色が苦手だった。やんわりと拒絶を突きつけられているようで――突きつけたのも自分であるのに。
身勝手だ。分かっている。
煽るような指が腹をくすぐった。
刺激を覚悟していたが、訪れたのは口づけだった。瞼に押しつけられた唇は、一秒もたたぬうちに離れる。
髪の生え際、頬、首筋、肩、胸元、鎖骨の下、腕、腹、腿――紅蓮が手始めに彼女の体に残る傷跡へキスを落としていくのはいつものことなのだが、いつもよりよほど、入念に。蜻蛉の羽のように薄くひび割れた硝子を指先でつまみ上げているかのように。この行為も、勾陣は少し、嫌いだった。脆くなってしまった錯覚がする。もうすぐ壊れてしまうような錯覚がする。
すでに傷など残っていない箇所にも口づけは訪れた。怪我など珍しいことではないので治ってしまった傷などそのはしから勾陣は忘れてしまっていくのだが、それらすべてを、彼は覚えているとでも言うのだろうか。
口づけが左腕の真新しい傷に到達したとき、熱をくゆらせはじめていた吐息が無意識に止まった。すでに塞がり、薄桃色の肉と皮膚の張っているその傷など、三日もせぬうちに消えるだろう。しかしどうしてか、そう、シャワーを浴びたときに自分で触れても、塞がったのだからとそのまま放っておいて浴衣を着ても、痛みなどまったくなかったのに、紅蓮に触れられて鋭くうずく。
「痛いか」
その声音は淡々と、案じる響きも隠されている。それでも優しい。
紅蓮はその箇所にぬるりと舌を這わせた。
また、うずく。
「そんなわけあるか。もう塞がっているんだ」
「勾」
勾陣の顔を覗き込んだ紅蓮は、ひどく硬質な目をしていた。何か大切な感情を押しつぶして、もっと大事な心を優先している。放り投げた感情が顔を覗かせないように頑なになる。鏡が欲しいなと思った。どちらの方がより頑なな表情をしているだろうか比べてみたかった。
「……勾、なぁ、何が悪い?」
それは、すべての答えを分かっていながら敢えて何も知らない子供に尋ねかける、ずるい大人の声によく似ている。
「お前、今まで何回無茶をした? それで何回、しなくてもいいような怪我をした? …心配して、何が悪い。俺の目の前で死にかけた……いや、実際一度死んで、俺がいなかったらそのまま終わってたお前が、俺に向かって心配するなとか、それが嫌だとか、言える義理じゃないだろうが」
正論だ。彼の正論は子供の正義のようにまっすぐで揺るぎない。長くて深い付き合いでそれくらい嫌というほど染み込んでいる。
紅蓮の指が胸元をなぞる。白い肌にくっきりと刻み込まれた醜い傷痕は、もうずいぶん薄くなっている。しかし完全に消えてはいない――消えることはないのかもしれない。闘将の治癒力と千年という月日をもってして残る痕だ。心臓より少しずれた場所。衝撃も苦痛も時の砂にうずもれて忘れ去った、それでも覚えていることがある。そう、確かにあのとき、彼女は死んだ。心臓の音が止まったのを、つめたく昏い無意識の海底で、彼女は真実聞いたのだ。そして何も分からなくなって――引き上げ、冷えた体を温めてくれた声を、聞いた。優しく悲痛な声を。
彼の優しさを厭うようになったのは、それからだ。
「…………早く」
耳元でささやく。
紅蓮は誤魔化されてくれた。ただ、傷つけようとするように荒々しい口づけは、唇を割って進入し、勾陣を蹂躙するその舌は、分かっていると告げていた。勾陣も分かっていた。紅蓮がすべて諒解してすれ違うことを選んだのと同じように、勾陣もまた何もかも知っていてすれ違うことを選んだ。分かりあっている。すれ違っている。しかしその分、愛している。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
理解できてしまうというのは時に残酷だと彼は思った。
しっとりと豊満な胸の、色づいた頂を唇で軽く食むと、頭上にくぐもった熱っぽい吐息を感じた。声を上げることを極端に嫌う彼女はいつも限界ぎりぎりまで耐えようとする。その姿が紅蓮の征服欲をそそってやまないのだが、声が上がったら上がったで情欲がいいだけ煽られたりもする。瑞々しい弾力に満ちた乳房は紅蓮の手に自ら吸いつくようだ。口に含んだものを舌先で遊ばせながらやわく揉みしだいてやるだけで、声を押し殺した吐息が荒くなっていくのが感じられた。
紅蓮は彼女の苛立ちの理由が自分にあることを知っていたが、自分の不機嫌は彼女に帰結することも自覚していた。卵が先か、鶏が先か。しかし勾陣の矜持を踏みにじってまで優先したい自らの感情の正体など、もしかしたら永久に気づかぬままだった方が、紅蓮にとっても勾陣にとっても幸福であったかもしれないとは考える。
我が身を顧みない傾向が勾陣にはある。それは自分に無頓着、と言うよりはむしろ彼女の美学であるようだった。力を持つ者として当然で、そして勝手で傲慢な美意識。自分が率先して先陣を切ることで、他の者をできるだけ安全にしようと。それを裏付けるように彼女は接近戦を好む。
この昼のことも、紅蓮のことを考えた結果だと彼女は言う。
ふと、勾陣の神気が、徒人の霊気程度に落ちた。
何事かと驚愕して振り返ると、土中から突如現れた黒い思念体が彼女に襲いかかっているところだった。見失ったそれが地面に潜んでいたことを彼はそのとき初めて知った。
思わず名を叫んだ。
しかし左上腕部の怪我と引き替えにそれを討ち取った彼女は、悪びれもせずに落ち着いた様子で紅蓮の方を向いて「終わったぞ」と静かに言ったのだった。
なぜ言わなかったと問えば、言ったところでお前は対処できたのかと逆に訪ねかけられ返答に窮する。
しかし彼女の判断に納得などできなかった。
声と吐息の狭間のような息は甘く熱く、彼の欲を膨らませていく。時たまうわごとのように騰蛇と呼ぶ彼女の声はすでに常より少し高くかすれていた。しこる先端を指で転がしながら、鎖骨、首筋、耳の裏へと舌を這わす。震える細腕が紅蓮の肩にしがみつくが、武器を扱うための短い爪など立てられても痛みはなかった。首筋へ強く吸いつく。ぴくりと反応を示すものの、強情に声は抑えられたままで、その姿勢がいじらしくて紅蓮は軽く笑った。
「…ほら。声、聞かせろ」
耳元で低く囁く。
が、返ってきたのは不敵な笑みの気配だった。
「……近所迷惑、だろう……、…」
「お前本当に可愛くないな…」
「は…、今更、何……ぁ…」
なおも続く可愛くない台詞の途中で弄んでいたそれを押し込んでやる。とうとう上がった小さな声に、褒めるように紅い唇を舌で舐める。白い肌はとっくに色づいていて、時折もどかしそうに腰が動く。彼女の欲もそろそろ溢れだしているころなのだろうが、まだそこに手を伸ばすつもりはなかった。仕置きがてらにとことん焦らしてやるつもりだった。発想が軽く変態じみているが改めるつもりもない。
声や体なら、こんなに簡単に支配できるのに。
勾陣は紅蓮を過保護だと言うが、紅蓮の言い分としては勾陣が無茶ばかりしすぎるのだ。白い肌に残る傷跡はその証で、もっともひどい無茶――彼女が死にかけた、あのときの――ものなど、千年たってなお醜くひきつれた姿をさらしている。
彼女の望みならできるだけ何でも叶えてやろうと、ひそかに紅蓮は心に決めている。意に反することはしたくないし、与えるのなら愛情と優しさがいい。もしも今彼女が心からの拒絶を示したら、そのまま行為を中断することすらやぶさかではなかった。――実際にできるかどうかは分からないのが男の悲しい性ではあるが、しかし紅蓮の心づもりに偽りはない。
そう、何でも叶えてやろう。ただひとつ、彼女が傷つく結果に終わる以外のわがままであれば、何でも。
そこにはひどい矛盾が潜んでいる。勾陣が傷つくことを何より厭いながら、同時にそのためになら紅蓮がどれだけ彼女を傷つけてもかまわない。そして、それでいいのだと、諦めている。
勾陣が紅蓮の心配を嫌うのは、彼女自らの力と強さが何よりもの矜持であるからだ。事実、よほどの危機が訪れない限り心配の必要など本当はないほど彼女は強い。今日の一件など、むしろ心配する方がどうかしてるほどの些細なものだった。
それでも。
「なぁ、勾――」
すべての愛撫を一度止めて、彼は凪いだ声で言った。きゅうと閉じられていた瞼が開き、至上の夜闇を水面に溶かしたかのような双眸が現れた。ただ、その湖面は情欲に揺らめいている。けれども彼女は紅蓮の声に真剣に応えた。
「…何だ?」
息を整えようとしている様が愛おしくて仕方がない。
紅蓮は少しだけ、泣きたくなった。
どうしてこんな簡単なことだけ俺たちは分かりあえないんだろう。
「怖いんだといったら、分かってくれるか?」
一瞬、傷を負ったような色が見えた。
目を伏せた彼女は、答えてくれなかった。
紅蓮が踏みにじっているのは『勾陣』のプライドだ。
しかし、騰蛇が勾陣を頼もしく思う心と、紅蓮が慧斗を案ずる気持ちは互いに相反し得るものではなく、むしろまったく同質のものだった。『勾陣』と『慧斗』を無意識下で意図的に同一視しようとする彼女に、これを分かってもらうことなど不可能なのかもしれない。
ならばせめて感情だけでも。
失い置いて行かれる側の恐怖を寂寥を哀絶を、知らないお前ではないだろうに。
明日世界が終わっても彼は恐怖など感じないだろう。
怖いのは、今在る者のいない明日。
それ以上に怖いのが、慧斗がいないのに勾陣だけがいる、明日だ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
怒っていると言うのに彼の手つきは執拗で優しかった。力づくに犯すようであったなら、勾陣だって頑なに耐えることができただろうに。いや、むしろその方がありがたかった。
怖いのだと言う彼の声は、ともすれば遙かな昔に独りきりだった際の彼の声音にも通じていた。静かすぎる声音の奥にある孤独な悲しみは、先ほど彼の瞳に見つけてしまったものと同じだった。そんな声を出させてしまったことが少しだけつきりと痛くて、しかし甘い痺れが痛みすら覆い隠してしまったことがどこか汚らわしく思えて悔しかった。
「っぁ…、……騰蛇、」
それを誤魔化すために呼び、さらに深くすがりつこうとして、しかしその手はやんわりと押さえつけられた。なぜ。目で問いかけると紅蓮はどこまでも柔らかい微笑を浮かべて一度くしゃりと勾陣の髪を撫で、いとも容易く彼女の肢体を反転させた。肌に纏わりつき動きを抑制するだけだった服がはぎ取られ、空気の流れに震えた背を紅蓮の指がつい…となぞった。うずいて仕方のない体にその愛撫はもどかしすぎて、それなのに甘い感覚だけがぴりぴりと脊髄に伝わる。たまらなくなって枕に噛みつき、声を殺した。
下腹部が熱くて仕方がない。
たまに、この関係は何なのだろうと疑問に思うときがある。
同胞だ。けれどそれだけではない。恋仲ではあるが、たとえば口付けを許していなくても自分たちは確かに恋仲で、情事を重ねてなお二人はかけがえのない友人だった。恋情に付随するはずの他の思い――嫉妬だとか寂寞だとか独占欲だとか――は、あるにはある。しかしたまに思い出す程度で、とても弱い。他者を見ていればそれくらい自覚できる。けれども単なる友人であるなどあり得ない、勾陣の貞操観念は強い方であるし、何より生殖という本能を持たない十二神将にとっては情交は愛情表現以外の何物でもあり得ないのだ。
言葉は、強大な力を持つ割には不完全で、大切なことほど表せれない。
この、曖昧ですべてである関係に付けるべき名など未来永劫どこにもあるはずはなく。
それでも敢えて言うのなら、『私とお前/俺とお前』。
そして表現された自分たちのすべては、互いでなければならないのだという意味を絶対的に含んでいる。
勾陣は彼が何を怖がっているのかを識っている。それは勾陣とて怖れるものであるから。それでもこの矜持を折り曲げようとするものなど、たとえ自らの強い真実であろうと許さない。申し訳ないとか愚かしいとか、思うときだってある。
けれど今さら自分の核を変えてしまうことなんて、できない。
紅蓮は強く怖れている。
勾陣の死とはすなわち『ふたり』の消失。
そうして紡ぐ記憶を失い、新たな『二人』に上書きされてしまうことを、彼は何より怖れている。
「勾、どうだ…?」
「な、にが……っ、ぅん…」
憎まれ口を聞いてやる余裕がそろそろない。そのことを外に出すのが癪で荒い息の継ぎ目に答えるものの、そうすると声が出そうになる。どうすればいいのか、思考は徐々に気持ちよさに溶けてきている。背を指だけで焦れったくなぞられることに弱かった。首筋から背にかけて這う舌はのどを潤そうとする犬のようで、さらにシーツと擦れる胸からも快感は届けられ、それなのに上り詰めるには足りない。
強情だな、と紅蓮が笑った。
「きついんじゃないのか?」
原因が何を。うるさい、と返すが、どのみち彼を悦ばせるばかりだと気づいてしがみついている枕に再び顔を埋める。刺激に集中してしまうのがいけないのだ。何か思考の逃がし場所を探して――普段なら考えつかないところへ転がり込んだ。耳元で、勾、と呼ばれる。肩が跳ねた。そして、こんなときでさえ私たちは名を呼ばないな、と思った。
呼び合ったことはないが、互いに呼んだことならある。ただ、紅蓮が呼んだのは勾陣の命の危機のときで、勾陣が呼んだのは単なる戯れだった。自分のことを『勾』と呼ぶ理由をはぐらかされ――たとさえ言えない、あんな不自然でつたないかわし方――その仕返しのように。
――何食わぬ顔を装いながら、本当は許されるなんて思っていなかった。あの名前は、彼のとても大切なもので。彼が生まれて初めて手に入れた宝物で。むやみやたらと呼ばれて手垢の付くことを怖れるかのように、彼はたった二人にしか呼ぶことを許さなかった。その中に勾陣はいなかった。当然と受け止めそれでいいのだと呟きながら、利己的な心の一部が寂しいのだと息を吐いていた。
きれいな響きだと羨んでいた。晴明と昌浩を、羨んでいた。許されていることが羨ましくて、妬ましいほどだった。
――『紅蓮』
それでもあのときは、
――何となくだ、気にするな。
半分だけ。
半分、許されると思った。もう半分は、許されないと思った。――それでもやはり、許してくれるだろうと、確信していた。
とても幸福な傲慢。
ふと、唐突に。
(……あぁ、そうか)
愛されるとは許されることだ。現に今、勾陣も紅蓮に心と体の両方を許して受け入れている。互いに許せないことはたったひとつだけ、しかしそれも、もしかしたら本当は、ある意味では許していることになるのかもしれない。すれ違いを見せながら、それでも互いに否定はしないのだから。否定と言うより単なるわがままで、それは許されるという前提の上にはじめて成り立つものだ。
死ぬ、とは、
もう許されなくなると言うこと。
今、紅蓮と呼んでやったら彼はどんな反応をするだろう。あのときのように呆けた反応を見せるだろうか、それとも呼び返してくるだろうか。小さく笑い、試してみようかと後ろを振り返ろうとして、
それは来た。
ぐしょぐしょに濡れそぼった花を分け入った突然の進入者はそのまま内壁を擦り、さらにはもう一本の指が泉の中の芯を見つけだして押しつぶした。弱い刺激でいいだけ高ぶらされていた熱が一気に弾ける。たまらずに突っ伏し、強く瞼を閉じたはずの世界は白い。悲鳴のような声が上がった。手で口を覆おうとしたが、彼はそれを許さなかった。
だめ。いや。もう。
そんな言葉を言うことすら叶わず、くたりと力の抜けた体がシーツに沈んだ。強すぎた感覚にこぼれた涙が布を濡らした。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
抱き上げて仰向けにするだけで、余韻に痺れる彼女の体は何度もぴくりと反応した。指を濡らしたものを舐めながら、目元に溜まっているものを見て、さすがに無理をさせたかと反省する。ぬぐってやるともの言いたげな色を宿す双眸が現れ思いきり睨まれた。
「…いきなり、やりすぎ、だ、たわけ……!」
普段の迫力などまるで窺えないが、紅蓮は軽く手を挙げて降参の意を示した。確かに緩急の切り替えは激しすぎた。
「悪かった」
ふっくらとした唇が唾液に濡れて普段よりいっそう紅くなまめかしい。食らいつく。その唇に、応える舌に、歯や歯茎、上顎も、余さずたっぷりといじめてから離し、頬に張り付いている髪を払ってやると、冷めやらぬ熱が再び煽られるのか勾陣はむず痒そうに身じろいだ。
「辛くないか?」
聞いたそばから手早く服を脱いでいく紅蓮に勾陣は苦笑気味にうなずいた。
「お前も、気は済んだみたいだな」
一瞬目を丸くし、紅蓮もつられて乾いた笑みを浮かべた。紅蓮に黙って無茶をしたことへの怒りも分かってくれないことへの痛みもいつの間にか消えていた。そんなもの、彼女をひたすらに愛するのには邪魔でしかなかった。
「……なんだ、ばれたか」
「お前は分かりやすいからな。むしろ騙せると思ったのか。私も安く見られたものだな」
「お前、まだ怒ってるのか」
「どうだと思う?」
「怒ってないだろ」
「……さて」
余談だが彼女が素直にさらしてくるのは怒りだけである。第一先ほど彼女はお前『も』と言った。
熟れた頬にキスを落として、足を開かせる。両手をシーツに押しつけて、唇をキスで塞ぐ。
そうして言葉も抵抗も何もかも奪っておいて、腰を沈めた。ひくついてまとわりつくようなそこは、火傷を負うかと思うほどに熱い。痛みのためかくぐもった声があがるが、それは紅蓮ののどに直接吸い込まれた。覚えたのは達成された征服欲と、少しばかり倒錯した悦びだった。
言葉通り『ひとつになれ』たらいいのにと思う。どれだけ深く求め合おうが繋がるのは影くらいのもので、しかし暗い室内に影は存在できない。そうして、快楽でどろどろに溶けた脳髄ごと本当に重なりあって、混ざりあって、離れることのできない『ふたり』という『ひとつ』になってしまえばいいのに。そうすれば永劫失うことなどない。上書きされることもない。
不可能と知っているから「もし」を描く。
失うことは怖い。だが、今はもう、そんな感情はいらなかった。むさぼり合う悦楽の前では言葉すら邪魔だった。ただ、獣のように。本能のように。あぁ、真実『愛する』という本能が存在したらいい。できるならそれは『お前を愛する』という本能であればいい。紅蓮の理性と感情がかけがえのないと感じる彼女が、本能に組み込まれているほど深淵に唯一であればいい。それは願いなどではなかった。そんな不確かなものではなかった。敢えて言うなら、それこそが『ふたり』としての証だった。紅蓮の心の一部は勾陣に奪われて二度と返ってこない。――そんな幸せが他にあるだろうか。
勾。呼ぶ。それすら刺激になるのか細い体が痙攣する。そう言えばこの呼び名も目の前の彼女以外に使うことなどあり得ない音であったなとふと思い出した。
濡れた悲鳴が限界を訴えた。
呼応するように白い感覚がすべての思考を一瞬燃やす。
殺されそうな幸福間と悦びの中で、彼女の耳元に唇を寄せ、そっと囁いた。
――勾。
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