Be praying. Be praying. Be praying.
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別館作成終了。
問題はD.mpのサイトデザインよりペトラのサイトデザインの方が気に入っちゃったことですけどね!(笑
うん、せめて向こうは放置サイトにはしないようにしとこ。
だってメインの日記はこっちですし、あっちの日記多分書くことないんだもん(ぇ
これだけではあれなので、最近考えてることをちょっと。
玉依編でやっぱり昌彰もいいよなーと思い始めてがさがさあさってたら、ふっと気づいたことがあるんです。
彰子の本心で、でも昌浩は気付けないこと、というか。
守ってもらうだけなのは嫌だ、むしろ守りたい、支えたい。
そういう女性の思いが、勾陣という個体を構成した人の思いの根幹なんじゃないかと。
何でこんなこと思ったか我ながら謎ですよ!
勾陣以外の神将女性三人って、結局守られる側に立ちやすいじゃないですか。太陰は見た目的に、天后さんは戦闘能力の低さゆえに、天一は戦闘能力を持たないために。
太陰は結構戦ってるけど、でも、現代パラレルでの立ち位置は絶対、弱者だと思うんですよ。やっぱ子どもの外見、しかも小学校低学年くらいだし。
で、その中で唯一、守る側に立つだけの力を持ってる女性が、勾陣。
紅蓮以外の誰も、彼女に敵わない。
しかも彼女自身が、自分の力に誇りを持っていて、心配されることが苦手で守られることが嫌い(だと思うよ、ああいう性格なら)。
そのせいで死にかけたり重傷負ったりしてるのに、まるでそのこと自体さえ誇りだと言いたげに、特効役みたいなことをしてる。
その姿が、玉依編とかで見えてくる彰子の本音に、凄く重なったんですよ。いや、逆か? 彰子の本音が姐さんに重なったのか。
とにかくまぁ、たぶんそのせいで、こういうこと思うに至ったんでしょうねと。
守られるだけじゃない。守られることがいや。自分を守るせいで誰かが傷つくのがいや。むしろ守りたい。それだけの力があればいいのに。男性にも敵うくらい、男性をも守れるだけの力があればいいのに。
そういう思いが、いつか集まって重なって、十二神将勾陣という存在が作られる根幹になった……とかありじゃないかなぁ、とか。ね。
だって闘将全員男だって別に普通じゃないですか。戦うことなんて男にまかせときゃいいんだから。
でも実際は女性がひとりいて、しかも二番手で。自分の怪我とか物凄い二の次で刃をふるってく、性格まで男前なひとがひとり、いる。
そしてそう考えたら、十二神将騰蛇(というか、紅蓮)という存在を作った思いの中に、たとえどれだけ強い女性がいても、それでも守ってやりたい、という男性の庇護欲があったらいいなぁとかも思いました。
紅蓮を生み出した思いの方が想像しやすいかな?
誰をも守れるくらいに強く、強く。それでも自分のためだけにはその力をふるわない、優しい神様で、あれ。
そんな感じかと。
まぁ十二神将自体が、人間たちが無意識下で望んでいた「自分たちの神様」だと私は思ってますが。
自分たちを気にかけない神様ではなく、自分たちに近い神様を。自分たちを裏切らない、それでも自分たちよりよほど強大な力を持った、自分たちの神様を。
人間に近い、結構中途半端な神様たち。が、十二神将なんだろうな、と。
神様よりは人間に近い感情を持っていて、でも人間ほど複雑な感情は持ち合わせていない、が基本見解として間違ってはないと思うんですよ。で、ついでに、本性がそのまま人間そっくりじゃないですか。普通? の神様たちの本性は人間のかたちではなくて、あれはあくまで人間の姿を模してるだけで。
だって人間に近くないと、なんだかんだで人間に混じって人間と一緒に生活するなんて出来るわけないじゃないですか。
問題はD.mpのサイトデザインよりペトラのサイトデザインの方が気に入っちゃったことですけどね!(笑
うん、せめて向こうは放置サイトにはしないようにしとこ。
だってメインの日記はこっちですし、あっちの日記多分書くことないんだもん(ぇ
これだけではあれなので、最近考えてることをちょっと。
玉依編でやっぱり昌彰もいいよなーと思い始めてがさがさあさってたら、ふっと気づいたことがあるんです。
彰子の本心で、でも昌浩は気付けないこと、というか。
守ってもらうだけなのは嫌だ、むしろ守りたい、支えたい。
そういう女性の思いが、勾陣という個体を構成した人の思いの根幹なんじゃないかと。
何でこんなこと思ったか我ながら謎ですよ!
勾陣以外の神将女性三人って、結局守られる側に立ちやすいじゃないですか。太陰は見た目的に、天后さんは戦闘能力の低さゆえに、天一は戦闘能力を持たないために。
太陰は結構戦ってるけど、でも、現代パラレルでの立ち位置は絶対、弱者だと思うんですよ。やっぱ子どもの外見、しかも小学校低学年くらいだし。
で、その中で唯一、守る側に立つだけの力を持ってる女性が、勾陣。
紅蓮以外の誰も、彼女に敵わない。
しかも彼女自身が、自分の力に誇りを持っていて、心配されることが苦手で守られることが嫌い(だと思うよ、ああいう性格なら)。
そのせいで死にかけたり重傷負ったりしてるのに、まるでそのこと自体さえ誇りだと言いたげに、特効役みたいなことをしてる。
その姿が、玉依編とかで見えてくる彰子の本音に、凄く重なったんですよ。いや、逆か? 彰子の本音が姐さんに重なったのか。
とにかくまぁ、たぶんそのせいで、こういうこと思うに至ったんでしょうねと。
守られるだけじゃない。守られることがいや。自分を守るせいで誰かが傷つくのがいや。むしろ守りたい。それだけの力があればいいのに。男性にも敵うくらい、男性をも守れるだけの力があればいいのに。
そういう思いが、いつか集まって重なって、十二神将勾陣という存在が作られる根幹になった……とかありじゃないかなぁ、とか。ね。
だって闘将全員男だって別に普通じゃないですか。戦うことなんて男にまかせときゃいいんだから。
でも実際は女性がひとりいて、しかも二番手で。自分の怪我とか物凄い二の次で刃をふるってく、性格まで男前なひとがひとり、いる。
そしてそう考えたら、十二神将騰蛇(というか、紅蓮)という存在を作った思いの中に、たとえどれだけ強い女性がいても、それでも守ってやりたい、という男性の庇護欲があったらいいなぁとかも思いました。
紅蓮を生み出した思いの方が想像しやすいかな?
誰をも守れるくらいに強く、強く。それでも自分のためだけにはその力をふるわない、優しい神様で、あれ。
そんな感じかと。
まぁ十二神将自体が、人間たちが無意識下で望んでいた「自分たちの神様」だと私は思ってますが。
自分たちを気にかけない神様ではなく、自分たちに近い神様を。自分たちを裏切らない、それでも自分たちよりよほど強大な力を持った、自分たちの神様を。
人間に近い、結構中途半端な神様たち。が、十二神将なんだろうな、と。
神様よりは人間に近い感情を持っていて、でも人間ほど複雑な感情は持ち合わせていない、が基本見解として間違ってはないと思うんですよ。で、ついでに、本性がそのまま人間そっくりじゃないですか。普通? の神様たちの本性は人間のかたちではなくて、あれはあくまで人間の姿を模してるだけで。
だって人間に近くないと、なんだかんだで人間に混じって人間と一緒に生活するなんて出来るわけないじゃないですか。
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